物事を習う以上、教わることはとても大切です。

教わらない限り、何も始まりません。

 

しかし、教わったからといって、何かが必ず始まるとは限りません。

そうです、教わったことに対して、実践が伴わなければ何も始まりません。

教わり、実践すると何かが始まりますが、継続という要素が加わらないとわずかな灯火も消えてしまいます。

 

朱剛先生が言われた事で記憶に残っていることがあります。

 

朱剛先生はご自分で  “私はあまり教えることがないと言われることがあります” と言われることが多々あります。

 

私自身はあまりそのような事は感じませんが、中には手取り足取りを期待してみえる方がいるようです。

 

この  “私はあまり教えることがないと言われることがあります”  は非常に難しい問題を含んでいると思っています。

 

ここからは私事です。

私もある分野については、稀にですが、人に教える立場になることがあります。

お金をいただいてる訳ではありませんが、状況的に私が教える立場になってしまうことがあるためです。

知識はそこそこありますので、基本的な部分はある程度抑えているつもりです。

私は根がおしゃべりですので、以前は知っていることは全て教えていました。

こういった 人に教える と言ったことを何度も繰り返すと法則性が見えてきます。

 

教えれば、できるわけではないということです。

 

やたら知識欲だけを求め、実践が伴わない人は、正直全くと言って進歩しません。

正直、こういったタイプは非常に疲れます、チェーンが外れた自転車をこいでいるようです。

知識と実践は両輪です、片方だけではグルグルその場を回るだけで、前に進むことはできません。

 

自分の方向性を自分で決めてしまっている人も進歩しません、人から何を聞こうと自分の物差しで判断し物事の本質が理解できていない為です。

教わるには素直であるのが絶対条件だとヒシヒシと感じます。

かつ丼の作り方を教えているのに、そのレシピを元にラーメンを作ろうとしてもまともな物などできるわけがありません。

ハンドルは正しく操作しなければ目的地には到達しません。

 

そして最も必要だと思うのが 基礎 です。

あいうえお が分からなければ文章を書くことも、読むことができません、数字がわかななければ、四則演算はできません。

これは本当に大切なことです。

人は派手な事、見栄えの良いことばかり目指しますが、本当に大切なことはもっと地味で見えない部分にあります。

残念ながら、基礎の構築に失敗した人はその後は何をやっても身にはつきません。

車はどれだけカッコいいボディーを持っていても、エンジン、燃料がなければ絶対に走りません。

 

そしてこれもヒシヒシと感じますが、教わるだけのレベルに至ってなければ、金言も猫に小判になってしまいます。

以前、なんでもかんでも教えていた時は、何を言われているのかサッパリ分かりませんとよく言われました。

こちらは親切、丁寧に言葉や感覚をかみ砕いて教えているのですが、レベルに至っていないため実感が全くわかないそうです。

 

こういったことからも、何でもかんでも教えれば、できるようになるわけではありませんし。

なんでも、かんでも聞くことが自分の身になるとは限りません。

 

必要な時に、必要なことを教えていただく、聞くと言うことがとても大切だと思います。

 

そして、何より謙虚で素直でなければ、せっかく学んだ事も意味がありません。

自分への戒めでもあります。