最近好きな言葉 足るを知る です。
現代人は結構な確立で、食事を残す方がみえます。
食事を残す行為を私は好みません。
小さい頃、ばーちゃんに ご飯粒を残すと眼が潰れると 言われて育った私には、基本的に食事を残すといった習慣はありません。
よっぽどの事が無い限り、私は食事を残すことがありません。(残すことも稀にありますが)
それは、植物であれ、動物であれ食事は 生き物 で構成されているからです。
食べてこそ食事であって、捨てるために提供された食事(生き物)は無いと心得ています。
生き物は殺されて捨てられるために生きてきたわけではないと思うからです。
そもそも毎日三食、普通に食事が出来る。
冷静に考えたら、これほど幸せなことはありませんし、世界を見渡せば食べたいのに食べれない人は本当に多くいます。
日本でも満足に食事ができない時代があったことは誰もが知るところです。
現代の日本では食べるといったことに対しては極まった感じがあります、それを食文化と言ってしまうこともできますが、日本に長い間培われてきて世界にも誇ってよい習慣 勿もったいない が疎かになってきたなと感じます。
十分足りているのに、もっと、もっとと餓鬼のような状態になっています。
朱剛先生が気功、瞑想が極まってくると、どんどん優しくなるといわれます。
個人的に思っていることですが 優しさ とはいろんな物をどんどん得て積み重ねていくことではなく、不必要な物をどんどんそぎ落とし捨てていった時に現れてくるのではないのかなと感じています。
現代は情報過多で何でもかんでも選択でき、能力次第では次から次へと望むものは得ることが出来ます。
欲望は更なる欲望につながり、気功で言う雑念の連鎖に似ています。
本来大切なことはどんどん得ていくことではなく、自分に必要な物だけを残すことなのかもしれないと思います。
足るを知る、現代人にはとても大切な言葉かも知れません、自分の心にもずしんと響く一言です。
瞑想をしているとこの 足るを知る と言った言葉は身体で感じることが出来ます。