私は気功については、東京での短期集中コースにしか参加できませんので、普段の練習は地元で自分で勝手に行っています。

人と一緒に練習を行う環境があれば、どれだけ良いだろうとも思いますが、そういった環境にはありませんので、それはしかたの無いことです。

 

朱剛先生がボソッと言われたのが、地元でも他の方と、瞑想するような環境があると良いです、と言われた事が頭の片隅にあります。

 

そうなると、他のヨガ団体、気功団体が催す、瞑想会などに参加することになるのですが、個人的には、現段階で他の瞑想はあまり行いたくは無いというのが正直なところです。

当然、他団体に出向くと、その団体のカリキュラムに添った瞑想になるので、禅密気功を行っている私としては避けたいところなのです。

ヨガなどのはブームでもあり、若くて、お美しいオネー様方がいっぱいお見えになり、モチベーションあげあげ状態になるのは間違いないのですが、そこはグーッと我慢です。

私はオシャレや流行は全く求めていないのです。

 

しかし モチベーション を保つ為に、たまにはそういった集まりに参加すべきかなと思い、比較的制約事項が少なそうな 禅 を行ってみることにしました。

禅 と 禅密気功 には密接な関係がありますので、比較的なじみが良いだろうと判断しました。

 

禅はどの地方でもそうかとは思いますが、比較的安価で取組める 禅体験 のようなものを催しています。

私も地元のお寺に申し込んで 禅 を行いました。

思ったとおり、制約事項はほぼ無く、多少の説明を聞いた後にいきなり座ります。

ここで思わぬ、事態に遭遇します。

腰をとても反ることです。

お腹の感覚は、多少なりともすでにありますので、禅が言う姿勢を取ると必要以上な緊張が腰に発生してしまい、あまり良くない感覚が発生しました。

致命傷に感じたのが私の行った 禅 は半眼で行うというところです。

目が開いているということは、目から情報が入ってしまうということです、それは目から入った情報に、心が揺れ動かされると言う事です。

30分の 禅 でしたが、心が落着くことは全く無く、ただ じーっと しているというほぼ意味の無い時間になってしまいました。

半年ほど通いましたが、正直、とても瞑想の境地が深まるとは思えず、通うのは止めました。

 

しかし、その後、短期集中コースで 心の瞑想 に参加しましたので、半眼であっても心を落着かせる方法を学びました。

 

今度は半眼であっても心を落着かせる自信があります。

また、時間をみて寺通いを再開しようかな?と思っています。