7月13、14、15日と瞑想会に参加してきました。

 

朱剛先生が主催される 禅密気功の瞑想 は三種類の瞑想があります。

 

 ・気の瞑想
 ・光の瞑想

 ・心の瞑想

 

段階的には 1、気の瞑想 → 2、光の瞑想 → 3、心の瞑想になります。

が、一概に段階的と言えない部分があります。

それは各々の瞑想には、完全に線引きが無く、混ざり合っている部分が多々あるからです。

 

私が普段の練習で行う瞑想は 1、気の瞑想 です。

段階的に 気感 を養い 感じる 段階です。

初心者の私には一番しっくりくる瞑想です。

 

しかし、今回は 心の瞑想 です。

光の瞑想は チベット密教  や 中国禅宗系 の瞑想です、との事です。

瞑想 では最高の段階の 瞑想 です。

 

日課は

10:00~築基功の後12:00まで瞑想

12:00~13:00昼食

13:00~14:00まで昼寝

14:00~17:30築基功の後、瞑想

 

こんな感じです。

心の瞑想の特徴は半眼で行うことです。

 

私の経験上、禅などに類する半眼の瞑想は、目から情報が入ることもあり、瞑想に全く集中出来ないと言う経験があり、目を開く瞑想には、相当の抵抗感があります。

 

しかし、今回の瞑想では築基功の後、続いて気の瞑想を行い確実に気の感覚が確立したところから瞑想が始まります。

気感を高め 心地よく、落着いた状態が 心の瞑想 の入口になります。

 

心の瞑想は以下の段階があります。

 

①穏やかな気持ちを見守る。

②環境と離れて物事に距離を置く感じが出る。

③主体と客体が一体になり、落着く。

④練習と練習しないことの区別が無く、一体になる。

 

まずは①が心の瞑想の入口です。

②以降は相当に難しいです、私は①で精一杯です。

 

心の瞑想の入口に経つ為には 心地よく、落着いた状態 がとても重要です。

この状態が確保出来なければ、心の瞑想は始まりません。

まずは 心地よく、落着いた状態 を得る段階の、技術を身につけなければなりません。

この 心地よく、落着いた状態 は眠気との戦いでもあります。

しかし、ツボに入った状態になると、相当シャキッとした状態で全ての条件を満たすことができます。

 

心の瞑想で面白いなと思ったのが、色々な出来事をそのまま、ありのまま観察すると言う事です。

気の瞑想のように、意念を使い、気感を高めたりと言うようなことはしません。

半眼で 只、座る 目から情報が入ってもそのまま、身体に色々な感覚が発生してもそのまま、自分の意思や、思い、考えを加えません。

心地よく、落着いた状態  を見守り 只、座る この一言です。

 

只、座る と言われて 只、座る 事は言葉で言うほど簡単なことではありません。

しかし、 心地よく、落着いた状態 事が出来れば、道は拓かれます。

 

この 心の瞑想は 瞑想としての技術と呼んでよいかとおもいます。

しかしそれ以上に 今の あるがままを見つめる という姿勢はすばらしい物だと感じました。

現代人である私は 過去の事を考え落ち込み 未来の事を考え不安に襲われます。

 

しかし、過去のことを考えても過去は覆りません、 未来の事を考えても未来はまだ来ません。

 

あるのは今なのです、今を冷静に正確に捉えることが出来れば 今が過去になったとき納得いく過去になるでしょう。

今が冷静に、正確に捉えられれば 未来も良い結果に繋がるでしょう。

 

そういった意味では、この 心の瞑想 の考え方、方法論は 目から鱗が落ちる思いです。

この あるがまま の状態で日々を過ごせれば、とても楽に生活が出来ます。

 

心の瞑想に入る前に 先生が言われた 以心伝心 が何とも心に響きました。

 

参考に先生がホワイトボードに書かれた言葉を記載しておきます。

   

見山是山、見水是水

見山不是山、見水不是水

見山還是山、見水還是水

 

立断、頓越

 

本来無一物、何処惹塵埃