中学生のころから 禅 には妙な興味がありました。

しかし、 禅=寺 寺=宗教 と言う大前提が私の中では成り立っており、勇気を出して、禅に取り組むといった事はありませんでした。

しかし、大人になっても 禅 は何だか気になる存在でした。

 

たまたまネットで見つけた情報で、近所で同好の方が集まって 座禅 を行っている情報を得て、参加してみました。

敷居が高いかと思われた 座禅 ですが主催の方は大変フレンドリーで、おかしな心配は無用でした。

 

当然、私はズブズブの素人ですので、基本的なことを少し教わり、早速座禅に取組むことになりました。

座り方、姿勢などは何を教えてもらったのかは忘れてしましたがしまいましたが、息の数を数えながら行う 禅 数息観 に取組みました。

 

この体験で人間と言うものは、考えようと思ったことすらまともに考える事ができないと言う、衝撃の事実を知ることになります。

自分の思考が自分自身で制御できない?

自分であって自分でない、一体自分は誰なのか?

 

しかし、ケイサクを持った方が歩き回るので気が気ではありません。

叩かれる痛みは大した事は無いのでしょうが、何時たたかれるか分からないと思いながら組む座禅は集中なんて言葉とは無縁の物で、歩く方の足音ばかり気にしてしまい パンパンするなら事前に言って、お願いですからパンパンするなら事前に言ってと思いながら座っていますので集中など出来るわけありません。

 

あと途中で呼び出され、公案  をして見える方が多数みえました。

 

正直、単純に座りたいだけの私は 公案 だけは絶対にやりたくありません。

 

禅自体あまりに漠然としていて、今後どのように取組んでいけばよいのかが分かりません。

私は別に悟りたいわけではないのです。

 

結局、一回参加しただけで二度目はありませんでした。

 

現在の自分であれば、もっと有効なものを見出せたと思います。