こんにちは デブです。
池袋で二時間、飽くという事態に…
喰うしかない。
なので富士そば&メンラーシーン…
えるびすというメンラー、
なんか、
『子供がまだ食べてンでしょう!!』
って聞こえてきそうな味でした。
泪は、隠し味さ/クッキングパパより
なみだの数だけ 強くなろうよ…
玉子とチャーシューご飯は旨かったです。
なかなかヘビーな組合せの割にはバランスがとれていてまた食べたいです。
しかし肝心のめすりおろした生姜(デフォルト)が恐ろしく襲い掛かってきました。
新しい感覚です。
世界が全て、ジンジャーです。
富士そば先生は、相変わらずブレない愛情を感じました。
ある日突然、家族に不幸があり悲愴に暮れる中、
疲れ果てた夜にふとつけたTVに、生き生きとした同年代ぐらいのオヤジが映っていて
『自分の人生はなんだったのだろう。』
『自分の役目はこれで良かったのだろうか』
『俺には夢があったはずだ』
確かに営業の一線で戦ってきた。時間はかかったが、
いまでは専務という肩書きまでもらった。
だが、俺はまだ 何かが足りない。と自答する。
静まりかえった、戸建ての居間で走馬灯を走らせていた。
耳には、無意識に自分だけのフェードオフ・ボリュームに聴こえるTVの音。
それは 蕎麦の茹でる音と、オヤジのこだわりだった。
その翌朝、辞表を握りしめ 30年来の付き合いにもなる上司に
『ありがとうございました。』
と、言う。
『定年まであと少しじゃないか、何があったんだ!まちたまへ!』
何度も呼び止める慣れ親しんだ声に一度も振り返ることもなく、会社を後にした。
脱サラののち、各地の蕎麦屋を食べ歩いた。
かき揚げ用に
旨い野菜を作る農家も調べた。
近郊で手に入る新鮮な海老も見つけた。
富士の麓に暮らす旧い友人に会いに行き『旨いわさびを送ってくれないか?今度、店を出したいんだ。』
と訊いてみた。
友人は快く応え、『一杯目は俺に食わせろよ』
その晩は、早めの祝盃を交わした。
『蕎麦』という食い物についての知識は随分とついた。
しかし、なにぶん蕎麦など打った事がない。
仕事一筋で生きてきたので飲食などは客でしかなかった世界だ。
それならば、と帰宅路にある富士そばを覗く。
すぐさま『アルバイト募集』の文字を見つけ連絡をした。
あれから三年が過ぎた。
街中の まして駅近くの立ち食い蕎麦は
人の出入りも激しく、
チェーン店舗が故にマニュアルが厳しく 何もかもが初めての男には 様々な壁が立ちはだかった。
1年かけて覚えた蕎麦を、
日々の忙殺と回転率を上げるために粗になった味 質 に、身体が慣れてゆく。
どうにか美味く出来ないものかと悪戦苦闘する。
しかし夜になれば、味など不味くなければ良い泥酔客や若者ばかりが来る。
『いつか 旨い蕎麦を』
そう秘めながら
いらっしゃい。か細くつぶやいた。
のを、
かき揚げと桜えび天で喰らうという品の無い客として
いただきました。
おいしかったです。