人は人になるために生きているのかもしれない。 | BUROGU

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すこしだけ、
きみの傍に居たい

・・・

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とある晩、
独り、崩壊寸前時に
鬼から『男の子』という単語をこれでもかと連発されて複雑なきもちなぅ。
…くそぅ 弱点を掴まれておる...


しかしあんまり刃向かうと
目玉をほじくり出されちゃうからなぁ…


でも、助かったよ。
ありがとう。

ほじらずありがとうぢゃないよ?


ところで

いじめっ子は変換予測にあるのに
いじめられっこは出て来ないだよ...

何故?Why?

Fuck me。



夕陽が きれいですね。
あー、それなりに賢い頭が欲しいワ。
感動もへったくりもありゃしない。

物事は捕らえて捉えるだけで精一杯だよ...

理解って、むつかちい。


さて、
人が人になるために生きているのなら
はてさて

回帰の為の 次を。

某方にコメント書いてて
我ながらナイス。と思いましたが(笑)

必死に生きる

って必ず死ぬんですよね。

一応、90年代的インテリ発想の旧型なんで
正直、
当然のように、事あるごとに自殺が頭を過ぎるのですが

この10年であまりに色んな人が身の回りで死んじゃったからなぁ。

死んだ人の1/5くらいはいつも言ってた。

『準じるな。』

だから生きてたんですね。
死人に準じないなら生きるしかないじゃないの、と。


…あのねぇ、団塊世代ほどタフさは無いのよ、正直。
教育なんてどう頑張ったって反を産むですよ...
…でもハガネの女は好きですよ...
全体的に。


もう未来なんぞクソ喰らえです。


うんこは不味いよー おぇー