全日本武道具空手道『巨星列伝』、今回は極真会館芦原道場から正道会館へ…第1回・2回全日本選手権覇者・中山猛夫氏をご紹介させて頂きます。
中山氏の格闘技・武道歴は少林寺拳法からスタートされた様ですが、学生時代はラグビーも経験されていたと書籍にあり、ここは現芦原会館館長・芦原英典氏等も同様で後の空手人生に大きな土台となる体力・身体が養われたのだと思います。
その後、極真会館芦原道場に入門。なんと1年も満たないキャリアで全日本選手権に出場されました。
しかし、現極真館の廣重毅選手等、極真の猛者達を相手に順当に勝ち上がり、ここでもご紹介させて頂きました現大道塾の東孝選手と決勝で対戦されました。
残念ながら判定負けとなってしまいますが、キャリア1年未満・初出場での準優勝は快挙であったといえます。それにさすがに全日本選手権で黒帯以外はヤバイだろう…との事で、あえて黒帯を締めて出場されたそうです。
全日本選手権での準優勝でその実力も全国区になったとはいえ、すでに道場内では強さの逸話も数多く残っており、当時は現円心会館館長の二宮城光氏等も同門という事で切磋琢磨されたそうです。
その後、当時極真会館芦原道場の指導員でもあった現正道会館宗師・石井和義氏の独立と共に、正道会館へ移籍されます。
そしてその正道会館主催の第1回全日本選手権にて、その強さが爆発する事になります。
ローからワンツーといったオーソドックスな攻撃に加え、フィニッシュの強烈すぎる上段回し蹴りは、ガード云々関係なく、相手を根こそぎ吹き飛ばす様な威力があり、私自身これまで見た上段回し蹴りの中でも最も強烈な印象をもっております。
実際この大会で中山選手の上段をもらった選手が失神するといった事もありました。なぎ倒す様な上段回し蹴りでバタン!と真横に倒れるKOシーンはまさしく驚愕でした。
勿論、この大会はぶっちぎりの優勝を飾られ、その後の第2回全日本選手権も制覇、無敵の2連覇を成し遂げられております。
選手としてはこの大会を最後とされておりますが、その後正道会館はご存じのとおりK-1路線へと大きく飛躍することになり、佐竹選手をはじめ後川選手、金選手、田上選手、アダムワット選手といった“K-1ルール”でもチャンピオンとなる有名選手を多数輩出することになりますが、その選手達が現役バリバリの頃でも、道場内では中山選手に歯が立たなかったと聞きます。
しかも、顔面ありルールでも…
独自の流派を立ち上げられたり、道場を開かれたりといった活動がない為、その後メディアへ再び登場される事は御座いませんが、まさしくフルコンタクト空手界において“天才”と呼べる選手の1人であることは間違いないと思っております。