新シリーズ "巨星列伝” 第一回 ベニー"ザ・ジェット" ユキーデ | 全日本武道具 空手道『道場訪問記』

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全日本武道具空手道~道場訪問記~、今回は、今後、道場ご紹介の合間に新シリーズとしてスタートする『巨星列伝』の第1回。これは、定期的に私が空手や格闘技に興味を持ち、その中でも特に印象に残っている名選手等を紹介していく内容となっております。



記念すべきその最初にピックアップする人物は、私が最初に影響を受け、ファンになった格闘家でもありますベニー“ザ・ジェット”ユキーデ氏をご紹介させて頂きます。



まだ私が小学生だった頃、ジャッキー・チェンやブルース・リーの映画などが日本でも公開され爆発的カンフーブームとなり、当然の様に私自身もその影響からか格闘技に興味を持つ様になりました。そして、この本との出会いが私を本格的に格闘技の道へ導くことになった訳です。


要するに私のバイブルともいえる1冊ですね。

70年代から80年代にかけてカンフーブームと並行し、梶原一騎氏の原作による格闘技系漫画や映画ブームの真っただ中、極真空手同様に人気を博していたのがこのベニー・ユキーデでした。


カリフォルニア州ロサンゼルス出身の彼は、父親がボクサー、母親がプロレスラー、10人兄弟の殆どが格闘技実践者という文字通りの格闘一家に育ち、自らもボクシング・レスリング・柔道・合気道・剣道、そして空手は松濤館流を学んだそうです。(有名な180度開脚のヴァン・ダムポーズもユキーデの方が先です!)



当時マーシャルアーツの主要団体であったWKAは、兄のアーノルド・ユキーデらが設立してたんですね~、当然ユキーデはそのWKAのライト級チャンピオンとして直ぐに"看板"となりました。


"リングの赤い蝶" と形容されたトレードマークの赤いパンタロン姿で繰り出す華麗な技に魅了された人達も多かった事でしょう。そして彼が日本で“マーシャルアーツ”という格闘技人気の火付け役でもあったと思います。


畳み掛けるようなパンチラッシュは勿論、やはり彼の代名詞ともいえる技は“バックスピンキック”でしたね。それに“ベトナムホイップ”なる物騒な名前の投技なんかも繰り出し、柔道経験者である片鱗も伺えました。


WKAのチャンプとして、全日本キックボクシング連盟の試合の為に来日することも増え、鈴木勝幸選手との試合(6RKO)以降、連戦連勝を重ね、人気も爆発しました。


当時は人気に便乗し、こんなレコードまで発売されてました。ヒ~ロ~ベニ~♪ファ~イティングベニ~♪みたいな曲でしたが、流石にカッコイイとは思えませんでしたけどww。


それに実際どうだったかどうかまではわかりませんが、極真会館の第10回戦日本選手権にエントリーされてました。恐らく最初から出場予定はなかったのではないかと思いますけど…ここら辺りも梶原一騎氏ならではの漫画『四角いジャングル』とのメディアミックス戦略だったのではないでしょうか。


ベニー・ユキーデの配線として記憶にあるのがムエタイのプラユット・シーソンポップ戦。


この試合は映画『四角いジャングル』にもおさめられており、基本的にアメリカのマーシャルアーツルールではローキックを認めていなかったせいか、シーソンポップ戦では不慣れなルール故に残念ながら判定負けとなってしまいました。しかもシーソンポップは階級が上の選手で、体格も違ってましたね。懐かしいです。


そのシーソンポップはその後日本人でラジャのムエタイ王者に輝いた藤原敏雄選手に負けてしまいました。藤原選手とユキーデ選手は度々試合の噂が経ちましたが、藤原選手のジム練習を見たユキーデの兄、アーノルドが試合を組むことを頑なに拒否した…との話もあります。



1991年に現役を引退された後は、自身のジム経営と俳優へ。

ユキーデのジムと言えばジェットセンターですね~!新日本プロレスの前田日明選手と異種格闘技戦を戦ったドン・中矢・ニールセン選手やドン・星野・ウィルソン選手と言ったWKAのチャンピオン達ももジェットセンター出身でした。


俳優の方では…日本でもおなじみですね!ジャッキー・チェンの作品『スパルタンX』と『サイクロンZ』に出演されてました。


今でもジャッキー作品のバトルシーンでスパルタンXの私闘を押す方も大勢いると思います。(ちなみに個人的にはヤングマスターのVSウォン・インシクがダントツです)


いやいやいや、随分と歳を取られましたがそりゃ当然…小学生だった私も今じゃアラフォーですからね(笑)。でも未だに私の中では心から尊敬している格闘家の1人です。