太田道真さまがねむる
龍穏寺を訪れました。
越生古寺卸鞍時 斜照吹鴉欲宿枝
(越生の古寺に鞍を卸すとき 照斜めにして鴉なき宿枝を欲す)
忽入上方参薬石 愧非忘箸老禅師
(忽ち上方に入られ薬石を参じらる 忘箸の禅師に非ざるを愧じる)
道灌公が亡くなって二年後、美濃に帰る途中の万里集九は、龍穏寺の道真さまを訪れたのです。そのとき読んだのがこの詩なのだそうです。
墓所には石碑が立っていますが、実は本当の墓所はそこではなく、さらに奥にある、一番高い所の三基がそうなのではないかと、そこにいた人が教えてくださいました。
ありがとうございます、ここまで来ることができました。
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龍神伝説
悪龍がいて民が悩んでいたことを聞いた道灌さまは(!!)
雲崗俊徳和尚(龍穏時第五世)を使わしました。
龍が住んでいる沼を目前とした愛宕山に登って、
経典を読み上げる和尚。
幾日もの間、龍を抑え込む戦いが続きました。
やがて、龍は雲崗和尚の霊験により、過去の悪行を断ち切り
善龍となって奉仕することを誓いました。
そして、龍は竜巻とともに大空に登っていきます。
そして沼は平地となり、沼の水は越辺川となりました。
和尚は龍の心が静かになったことを記念して、道灌さまにお願いし
大きなお寺を立て「龍穏寺」と名付けました。
(?雲崗俊徳和尚は五世ではないの?)
そして、龍が住んでいたということから、
「龍ケ谷」という地名が生まれたということです。
(看板より)