トーヨーリファールに起こったようなことを書くと、「馬は経済動物だから仕方がない」という人がいます。
「足が速い」とか「闘争心がある」とか馬の能力の物差しは決まっています。金子みすゞの詩のように「みんな違ってみんないい」ということはあり得ません。
馴致され、人間が主体の「経済」に否応なく組みこまれながら存在するしかないので、「必要ない」とされたら、馬は言葉もなく退場するしかありません。
トーヨーリファールでさえそうだったのですから。
でもこれ、今人間自身も「経済動物」化されようとしているのではないでしょうか。
経済の主体が人間ではなく、違うものになりつつあるのではないでしょうか。