昨日 24日の読売新聞に 富士山を信仰の対象とする「富士講」のことがのっていました
それによると 江戸時代には 女性は2合目の「女人天上」までしか上ることが許されなかったそうです
しかしながら 戦国時代には 4合5勺「御座石」まで登れたそうで 江戸になって規制が強化されても60年に一度は女性が登ることが許されたのだそうです
戦国時代の方が 高くまで登ってよかったんですね なぜなのでしょう
(記録にないだけで 頂上まで登った女性 絶対にいると思いますが どうでしょうか)
明治時代になって 神道は国教になったのに 富士登山が女性に解禁されたのはなぜなのでしょう
今 五合目 スバルラインに集う 女や外国人の足下で 「女人天上」や「御座石」は 朽ち果てています…
ざまー