ご訪問下さりありがとうございます😊


ある日の西日 床に寝転んで


ののさーん
双子ちゃんが
修学旅行から戻られたのですね❗️
お土産話がてんこ盛り
そんな光景が目に浮かびます

こちらのブログを読んだ時



私のインナーチャイルドが
何やら騒ぎ出しましたショボーン

あの日心に沈めていた想いが
ブワァッと浮上したので

本日対峙して

昇天させちゃいます照れ



私の小学生の修学旅行は
一泊二日

東京と日光の旅バス

今でも忘れられない
数々の楽しい思い出星

国会議事堂、後楽園遊園地、東京タワー
華厳の滝、日光東照宮、いろは坂etc

バスの車中が楽しかったこと
夜の部屋での盛り上がりお月様
お土産を買ったこと

時代は1980年代
あの時流行った歌
聖子ちゃんの歌や
ルビーの指輪など

歌謡曲の歌集を片手に
(紙で作った冊子)
みんなで歌ったことを
思い出しましたルンルン

永遠に修学旅行が

終わらなければいいのにビックリマーク
バスから降りる時も

そう思っていました

帰りは夜になり
(暗闇は子供達の大好物)

興奮冷めやらぬ子供達は

大はしゃぎ


バスから降りると

父兄のお迎えを
学校のグランドで待ちます

私は早く

母と旅の話がしたくて
早く来ないかな〜と
ワクワクして待っていました

ところがどんなに待っても
うちの親は来ない
あれ?なんで?
お迎えを忘れちゃったのかな?

とても不安になりましたアセアセ

居残り最後の1人になる前に
お友達のお母さんが
声をかけてくれて
なんとかお友達と一緒に

帰ることができました

家のドアを開けるとすぐに
「なんで来なかったの💢」
と大声で叫びました

ところが母は

「誰かと一緒に帰ってくると思ってた」
そう言うと

私の話を適当に流して
忙しそうに家事に戻りました

私はそれを聞いて
悔しくて怒りが爆発
結局父にも怒鳴られ
(叩かれたかも?)
モヤモヤした気持ちを沈め
イライラが収まるのを
泣きながら待ったのです

あの時代は家事も大変で
手間がかかったし

母は迎えに行かなくても
誰かが何とかしてくれる
そんな安心感があったのでしょう

だけどだけど
この歳になっても
怒ってる私

せめて
行けなくてごめんねって
言ってもらいたかったよなえーん

大人になったある日
母に言ってみたけれど
言い訳されて終わりましたプンプン


あの時母には

謝って欲しかった


だけどそれは本心ではなく


本当にしてほしかったことは


あの時間だけでも

私だけを見て欲しかった



お迎えに来て

家に戻るまでは

私だけの母

独り占めしたい

そんな期待があったと

今気づきましたてへぺろ


母は毎日

小学4年生の弟の世話

6歳の弟は喘息持ち

頻繁に発作を起こし

昼間はパート

夜は吸入の為病院の往復

その合間に家事をしていた母

とても忙しかったのでしょう


だけどあの時の

あの時間は

私だけのもの


なんで来てくれなかったの❓


その機会が

無くなってしまったこと

母が私のことを適当に扱ったこと

それがとてもとても

悲しかったのだと


当時の私は

毎日忙しい母を

困らせないように

自立した風を装って

凄いね〜

お姉ちゃんだからよくできるね

その言葉を励みに

精一杯頑張っていて


あの時

来てくれなかったことは

仕方がなかった事だと

自分に言い聞かせ

心に蓋をしました


そうやって自分と

折り合いをつけて

生きてきたけど



もうその必要はないよ

悲しいと言えて

寂しいと言えて

よかったね泣き笑い

もう大丈夫だよ🩷


あの日の出来事が

こんなに長い間

ココロに刺さっていたなんて

すっかり忘れていましたけれど


本日そのナイフを抜いてみたら

もう血は出て来ませんでしたニヤニヤ


もう大丈夫🙆


あの時の私の気持ちを

やっと受け止めることができましたよチョキ


小さい私と大人の私

ぎゅっと手を繋ぎました


寂しかった想いがあったから

子育てに活かせたし


大人の私は

そうして欲しかった自分の

想いを受け止められるように

成長しました


これからは

修学旅行のお迎えの場面に

遭遇しても

古い傷が疼くことは

ないと思いまーす


ののさんの記事を見て

ふとそんなことを思いましたおねがい


いつもありがとうございまーす😊