『2024年5月7日の日記』⁡






今、社会でこんな論争が起きてる⁡






『子供の熱や病気を理由に⁡
会社を休む人の仕事を⁡
なんで私が被らないといけないの?』⁡






というSNS投稿が事の発端⁡






その投稿に賛否両論の声があって⁡






『じゃあ子供は誰が見るの?⁡
子供いない人って何もわかってない!』⁡






という声もあれば⁡






『わかる!そんなの不平等だから⁡
子供がいるところと平等にしてほしい!⁡
その分の手当てくれるとか!』⁡






という声もある⁡






こういう論争ってホント悲しい⁡






『休んだ人の負担を⁡
自分が被らないといけない』⁡
その部分だけ見ると後者の気持ちもわかる⁡






だけど、きっと⁡
自分のときもそうだったじゃん⁡






自分が子供の頃、⁡
自分が風邪や病気をしたとき、⁡
親が仕事を休み看病してくれて、⁡
親の同僚が親の仕事量を被ってくれたはず⁡






そんなことって⁡
多くの人にあったんじゃないかな?⁡






じゃあ、次は自分の番⁡






自分が子供のとき、そうだったな⁡






自分が子供のときも、⁡
そうだったんだろうな⁡






と、そう振り返りながら⁡






『仕事のことは大丈夫だから、⁡
子供のこと診てあげてね!』⁡






そう、言ってあげてほしいな⁡






子供がいる人には、わかる⁡
子供がいない人には、わからない⁡






そんなんじゃないと思う ⁡






もっと本質なところに⁡
『理解する答え』があるはず⁡






さ、今日もがんばるぞー!







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