この頃時間の流れがやたらと早く感じる。
氣付けば8月も中半だ。
日本人としてはこの時期になると終戦の日に想いを馳せてしまう。
多くの人はこの日、全ての戦闘が終結したと思われているだろうが、そうではないことを知るひとは少なくなった。
1945年8月15日、日本の降伏により終戦を迎えた。
この時現在の内モンゴル自治区には4万人を超える日本人の民間人が滞留していた。
終戦のどさくさに紛れて自治区にソ連軍が侵攻してきた。
現地はソ連軍による虐殺、暴行、強盗によって筆舌に尽くしがたい惨状となった。

この時駐蒙軍司令官として駐留していた根本博中将は思い悩んでいた。
本国からは「迎撃せず降伏せよ」と命令が下っいてるが、このままでは4万人の日本人が虐殺されてしまう、しかし命令に背いたら処刑である。
根本中将は静かに目を見開き、部下にこう告げた。
「理由の如何を問わず、我が陣地を侵犯するソ連軍は断固として撃滅する」
「全責任はこの根本が取る」
兵士たちは「これが最後の戦いだ」と奮起した。
根本中将は民間人を移送するため蒋介石に助力を求め列車を手配した。
そしてソ連軍との絶望的とも言える最後の防衛戦を開始する。
覚悟を決めた日本軍の強さは猛烈で、ソ連軍に対して全く怯まず何度も突撃し、すさまじい白兵戦を繰り広げ、同時に襲って来る八路軍(中国共産党の前身)の攻撃も退けた。
彼らは三日三晩前線を守り抜き、4万人以上の民間人を無事に帰国させた。
そして任務を果たした兵士と共に天津を抜け日本に脱出。
この時大本営は既に解体されており、帰国後に命令違反の処罰を受けることは無かった。
帰国から4年後、恩人である蒋介石の危機を知った根本は、資材をすべて売り払い、台湾に密航し蒋介石の元に駆けつける。
そして第5軍管区司令官顧問、中将に任命され、金門島で人民解放軍を退けた。
根本博中将 1891~1966
福島県出身 酒好きで豪胆な性格だったそうだ

かつて日本には根本中将をはじめ義のためにためらい無く命を懸ける者たちが居た。
人を守るため、恩に報いるため・・
己の心に嘘をつかず、人を裏切らず。
我々の財産とは彼らのような素晴らしい先輩が居ることだ。
せめて終戦の日は目を閉じて彼らにこう伝えたい。
ありがとう先輩。
私も頑張ります。
最後までお読み下さりありがとうございました。