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「畑をやりたい」のスタートは友人の意思、それを聞いたときにピンときて、畑の会を。五感は一年のキーワード。ザクザク擬態語、擬音語を生める日常を。

ところで、初期の仏教に関する文献を読んでいると、修行の身の者がやってはいけないものの一つとして、畑を耕すことが挙がっていて意外だった。占いなどと並ぶのだから、かなり違和感。托鉢の重要性の裏返しながら、インドから中国に入ったのちは、逆に修行の一環に畑耕が入るのだから、なんとも普遍性にかける印象だ。

この手の書物をベースとした研究を読むと常に、人間性と真の関係にはかなり課題が残る印象。お坊さんの説教も同様の印象があるものの、それとはまるで逆の印象であることにあたふたする。

ことの本質に自分がたどり着いてない証拠か。