令和4年に心筋梗塞で倒れ、死の淵を彷徨っていたとき、様々な夢を見ました。今日お話する夢を語ることに躊躇していたのですが、先日、「古代倭王の正体」小林恵子著(祥伝社新書)を読んだときびっくりしました。同じ考察だったのです。

 

夢の中で時空を超え、卑弥呼たちに会ったのです。彼女たちは奄美大島から英彦山を経由して日田に来たと話していました。その時、奄美大島に邪馬台国があるはずはないと思っていたので、この話をすると頭がおかしくなったのではと思われると黙っていました。

 

歴史学者は邪馬台国が北九州説や近畿説など言ったり、卑弥呼は天照大神や神功皇后と言ったり、されていますが、私には違和感がありました。

 

当時の東アジアにおける国際情勢などほとんど考えてないなと思っていました。日田から発掘された世界に二つしかない「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」は魏の曹操が持っていたものと同じもので、格下と言われる邪馬台国の卑弥呼にどうしてあげるでしょうか。

 

 

三国志の時代、魏にとって呉が驚異のひとつでした。この本には卑弥呼は呉の孫権から追放された巫術師の許氏の一族だということです。魏の曹操は呉の孫権をけん制するために邪馬台国と和議を結んだのです。

 

奄美大島に邪馬台国はあったとすれば魏志倭人伝に書かれている旅程通りになるのです。卑弥呼が奄美大島から北九州に来たもので、伊都国や奴国など転々としていたのではないでしょうか。

 

しかし、私が夢の中で奄美大島から来た卑弥呼に会えるのは、ユングが言っている集合的無意識の領域ですね。

 

なぜ日田から出土したのか。日田の横には耶馬国があったのです。卑弥呼の鬼道を扱う巫術集団は道教系の人たちであり、奥深い山のなかで日々修練したものと考えられるからです。現在の高塚愛宕地蔵尊(神仏混淆)に行くとのことでした。

 

卑弥呼より100年前に日田市の吹上台地にいたフキアゲ王は南方系の巫術師(別府大学の調査資料を見ると歴然としています。)であり、この人々と卑弥呼は同じ一族でないかと思う次第です。皆さんはどう思いますか。   奧日田の占人 禅月