天馬人語 #16 オリンピック | アーバンギャルド・オフィシャルブログ URBANGARDE OFFICIAL BLOG Powered by Ameba

天馬人語 #16 オリンピック

天馬人語


アーバンギャルドの松永天馬が、明日を読むつもりでusを読み、社会を斬るつもりで手首を切ってしまう連載。東京は、好きですか。



#16 オリンピック





 政治については、出来れば語りたくない。敵を作りやすいし、無知をひけらかす事にもなりかねないし、争いに巻き込まれるのも御免だ。自由に穏やかに暮らしていたい。穏便に、妥当に、順当に済まそう。原発が爆発したとしても。政治が信用できなくても。そんな国民の声が聴こえてきそうな開票結果、更には投票率だった昨年末の選挙。選挙権を持った若者は大きく2パターンに分かれていたように感じる。ひとつは鬱々とした日々を脱するため、長いものに巻かれたがり、かつての日本を「とりもどす」と息まく旧態依然の党に入れあげるグループ。そしてもうひとつは国に対してほぼ何も期待せず、ただ自分の権利、自由に生きる権利に干渉しないでくれと言わんばかりの無視を決め込み、消去法で候補者を選ぶか、投票にすら行かないグループ。前者を物語至上主義アイドルオタ、後者を村上春樹ミーツセカイ系と命名すれば、そのまま現代の若者をざっくり分類できてしまうのではないかと思うのだが(正確に言うと若者のうちオタクを、という事だが。もうひとつのより大きな派閥であるヤンキーについては前者をエグザイル、後者をケータイ小説に当てはめれば説明出来そうな感じもする)この若者の二傾向こそ、老いつつあるこの国の未来を予見している気がしてならない。




 どんな賢人も年をとれば死ぬ。戦後の生き字引として大衆文化を牽引してきた大御所の死が相次ぐなか、あからさまな美容整形によって、或いは大陸的に人権を無視した量産体制によって若返りつつある隣国勢に「近頃の若者は…」とばかりに悪態をつくこの国には「老人の国」という形容がぴったりだろう。更に余命いくばくもないジジイが半世紀ずれた天下国家を語って議員に返り咲き、その遺志(おっと誤字です、意志)を次いだ候補者が軽々と都知事になってしまう状況は、この国の閉塞感を戯画化していて老醜極まりない。別に若い事は素晴らしい、老いこそ忌むべきものだと言うのではなく、年寄りが若者に席をゆずらないという(電車のマナーとは真逆だが)状況は如何なものかという事だ。或いは最年長のAKBメンバーよろしく「席を譲らないと上がれない若者は社会では勝てないと思います。悔しい気持ちをぶつけて、潰すつもりできてください」といったところか。ならば若者は生まれてくる前の昭和にばかり憧れて老人を労わってばかりいないで、潰しに行け! 自分探しばかりしていないで、老人狩りをしろ! とまで言うつもりはないが、おじいちゃんこっちですよと国家の旧体制を老人ホームに招き入れ、もう少し自分たちの時代が来たことを認識したほうがいい。




 若者がマイノリティになってしまう大きな理由は若年人口の激減と消費者としての脆弱さで、音楽業界なんかはその煽りをモロに受けている。再結成ブームや過剰なエイティーズリバイバルなんかは半ば若者、半ば中年である三十路入りたての私からすると嬉しい反面この国の将来が不安になってしまうのだが、つまりこの中年以上を対象とした「懐かしいもの万歳」な業界に対して若者はもう、ヱヴァ新作のシンジ君よろしく「あなたは闘わないでいいから」と戦力外通告を受けているのである。せっかくモラトリアム脱していっぱしの大人になったつもりだったのにこれかよ! ウワアアと暴走出来ればいいものの、戦後の泥臭さがすっかり漂白されてから生まれてきた今の若者たちはモラルに溢れ、優しく、いっぽう臆病でもあり、やはり「潰しに」かかれない。そして冒頭に書いたような怯えが、こと政治に関しては横溢している。

老人が作ったデカい船にのって気が大きくなっている若者も(それは自民党と言ってもAKBと言っても構わない)なるべく「国家から遠くはなれて」生きたい若者も、怯えているのに変わりはない。そして戦後の泥臭さを生きてきた(あえて言えば)下品な老人たちに時代を寝取られていく。原発が爆発しようが国家規模での情報隠蔽が行われようが(投票率を含め)似たような選挙結果を繰り返し、これら諸問題がかつての日本によるものであるという事実には目を向けない。かつての活きの良かった日本、みんなが憧れ戻りたいとさえ言っている昭和の暗部が原発事故を作り出したという事実に対しては。




 国を若返らせることが必要だ。ただしそれは過去を振り返り無為に懐かしむのでは決してない。分かりやすく言えば、過去の栄光を捨てるべきなのだ。象徴的なものとして東京都が前回から引き続き行っているオリンピック招致があるが、端的に言えばオリンピックで国は若返らない。2016年に開催が決まったリオデジャネイロのような途上国都市ならいざ知らず、東京のような先進国都市で今更オリンピックを開催しても経済効果は期待を上回らないだろう(現に昨年のロンドンオリンピックでの経済効果は予想を下回ったとされる)。オリンピックや万博といった祭典は都市機能のインフラを整えるという点で途上国向けであり、旧世紀的なのである。地下鉄を掘り尽くした二十三区をこれ以上整備しようとしても、それは無駄な機能やハコモノを増やす結果に終わるだけだ。そして(結局選抜に落ちた)2016年のオリンピック招致で150億もの費用をかけ、うちおよそ百億円が都民税によって賄われたという結果も許しがたい。その金を例えば、震災の復興費用に充てて下さいお願いですから。いや、これこそが復興ののろしとなるのだよと老人たちは言うだろうが、若者はその時代錯誤な村祭りに待ったをかけなければならない。




 政治については、出来れば語りたくない。敵を作りやすいし、無知をひけらかす事にもなりかねないし、争いに巻き込まれるのも御免だ。それは分かる。しかし無知が許され、敵との闘いを余儀なくされ、社会に翻弄されながら生きるのが若者の性というものだろう。国民一丸となって無知を恐れ、敵に怯え、ヤフコメあたりで毒づきはするもののそれを肉声にせず、安穏とした日々に埋没するこの国に若者はいるか。五十代女子や美魔女も横行する時代、実年齢なんていくつでもいい。過去よりも未来に敬意を払う者すべてが若者だ。うすら寒い東京都の招致ポスターの欄外に「私、松永天馬は東京にオリンピックを招致できたら、新宿区にチョ~安全な原発を招致します」などという毒のひとつも吐こうではないか。あなたがどんなに年をとっていても、甘ったるい過去に埋もれていなければ。