特に、この頃のこの種の動画の多さには嫌気がさす程である。日本がそんなに善良な国であれば日本から発信しなくても外国人が称賛してくれるであろう。そんな動画もあるようだ。

 しかし、今どきのことである。外国人が日本称賛の動画をアップして稼いでいると言うのもあろうし、また日本人による「やらせ」や、外国人の「やらせてください」の動画も多いことであろうことは動画の内容を見れば見当がつく。しかもまた、情報・画像操作の進化した今日のことである。アクセスポイント稼ぎの全くの偽作の日本称賛動画もあろう。見る方は、おいしくて安い粗悪な食品と同様、まともに受け止めては成るまい。

 いずれにしても、そんな自画自賛的な文化は日本には無いばかりか、むしろ日本人としてのそのような行為は恥ですらあろう。

 その種の動画は多分「日本人がんばれ!」と言う応援歌のつもりかもしれないが、その愚に気づかないと新たな禍を招くことにも成ってしまい、次は反撃の動画をアップしなければならなく成ろう。愚かしいことであり、日本文化(仏教)の最も嫌うところである。

 この世の普遍的真実・真理・自然の法(仏法)を知らず求めず無関心な無明・無知な我執煩悩による自我中心的虚妄分別によって色々な国情を一々論評するのは全くの「群盲象を評す」の愚であり、聞いていて恥ずかしくなってしまう。

 どこの国情がどうあれ、それはただ不可思議な因縁によってそうなっているだけの「何でも無い」事象なのである。いたずらな卑下も好ましくないが、慢心は特に好ましくない。

 国権最高機関とされる国会議員の政治資金の猫ババ騒動と同様、日本の文化も安っぽい下品なものに成ったものだなぁの感がする。小泉・安倍政権頃からそのような風潮が始まったような気がするが、これも時代の産物であり、そのこと自体が「日本と言う国の何でも無さ」を表していると言うことでもある。

 私は仏教徒として「この世は何でも無い。すべてよし」と心得てはいるけれど、(仏では無いため)「こんなのは恥ずかしいなぁー」との思いを抑えられなくて…と言うか、日本が誇りたいそのような優れた社会思想文化はどこから生まれたのかと言えば、それは広くは素朴な自然的な神道、仏教、儒教等から長い歴史の中から生まれ、醸し出されて来たのであり、特に仏教での自我中心的我執煩悩(慢心)を抑制する教えが基本と成っているのだと言うことぐらいは日本人として認識し、日本人はその恵まれた因縁・環境・国民性に感謝し、その心と在り方を堅持することに務めることによって世界平和に貢献すべきであって、決して自慢すべきことでは無いことを認識・自覚すべきであろうと思うのである。それであってこそ日本は真に優れた国民性を具えているのだと言えようし、軍備など無くても、どこの国も日本にだけは手出しは出来ないと言う国と成れるであろう。またそれでこそ、日本は仏教国だと言えるのであろう。

 だが、今日の仏教は葬式と先祖供養だけの全くの虚仮仏教であるため、そこでは「先祖と祖国を守るためには国の防衛は大事だ。憲法改正も必要だ」と言うようなとんでもない仏教国に成っているのだと言えよう。

 そんな動画をアップしている人や団体がどんな素性の者なのかは知らないが、「何でも無い」物・カネ・命・人生・国家等々での善悪・上下等々の分別を語り、劣等感をカバーしようとしてかのような、しれっとした自画自賛の無明・無知・愚痴な次元の低い、幼稚な愛国心は日本の真価を損なうことに成るのではあるまいかと思うのだが。