私たちは

 

快・不快で

 

物事を選択

 

判断して

 

快の方に

 

寄るような

 

生活をしたいと

 

願望しています

 

 

 

不快はいけない

 

ことだと

 

不快が

 

発生すると

 

ネガティブな

 

意味づけをして

 

それを

 

抑え込もうと

 

しているのに

 

気づき

 

ハッとしました

 

 

 

快・不快の

 

不快は

 

陰陽の

 

陰の部分であり

 

ただ

 

神さまが

 

与えてくれる

 

何かしら

 

意味がある

 

ものであり

 

 

 

例えば

 

調和を

 

乱した結果として

 

不快があるなら

 

その不快を

 

認識して受け入れる

 

ことにより

 

快を求める

 

舵の役目を

 

負っており

 

 

何一つ

 

不必要なものは

 

ないのです

 

 

 

つまり

 

不快に

 

ネガティブな

 

意味づけを

 

しているのは

 

自分であり

 

 

その

 

意味付けにより

 

不快や苦しみが

 

より一層強固なものに

 

なってしまう

 

のではないでしょうか?

 

 

 

もっと

 

ポジティブな

 

意味づけをすれば

 

それらに

 

執着することも

 

少なくなり

 

生きやすく

 

なるのではと

 

感じています