かつじのブログ ~ 幸せの羅針盤 ~

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主に心の問題で役に立ちそうな考えなどをシェアしていこうと思います。

私たちは

すべてを包含した

完全な存在です

 

しかし

私たちは

好き嫌いを通して

部分的な自分を

本来の自分と

思っている

所があります

 

そこで

その包含している

すべてを

受け入れる作業を

進めることで

 

自分の意識を

執着している

ところから

解放することが出来

 

抵抗している

ところから

解放することが出来

 

そしてさらに

許して愛する

ことにより


 

完全な存在

という言葉の意味が

より確実な

実感を伴ったものに

変わってくると

感じています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが

完全な存在です

 

それは

神聖な面もあるし

卑しい面も含んでる

天地も陰陽も

すべてを包含している

ということです

 

一般的には

神聖なほど

完璧である

と考える傾向が

ありますが

これは執着

そのものです

 

神聖な面ばかりに

執着している

ということです

 

逆もまた然りで

自分の嫌な面ばかりに

焦点を当てて

苦しんでいる人は

そこに執着して

いるのです

 

そこから解放

されるためには

 

自分は

すべてを包含した

完璧な存在である

ということを感じて

その執着に気づき

手放していくことです

 

そしてどこにも

偏らないように

することが

焦点を合わせても

そこに執着しない

ことが大切なのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は

自分に対する

自分の姿勢で

 

和やかな優しい

世界にもなるし

険しくきつい

世界にもなります

 

平和で優しい世界に

するためには

 

自分の心と体

そのままを

どれだけ

受け入れて

許せるかに

かかっており

 

理由なんて

必要ではなくて

 

ただただ

愛し許すことのみが

そのことにより

リラックスして

平安を感じることのみが

重要なことであると

感じています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌っていることから

逃げないこと

 

そして

それを受け入れて

愛すること

 

 

 

 

 

 

 

 

最も細かいものから

最も粗いものまで

最も神聖なものから

最も卑しいものまで

 

包含しているのが

私たちの存在だと

感じています

 

最も微小で神聖な

原初の単位は

神と言われるもので

これに意識を合わせると

私たちは無条件の愛を

体現することができます

 

少し粗い

神と言う粒子が

集まった分子の

ような単位は

一般的な人間が

焦点を合わせている

ところであり

ここに合わせると

私たちは条件付きの愛

(思考の愛)を

体現するように出来ています

 

つまり

無条件の至福の愛を

常に体現したいなら

より微細な波動の領域に

焦点を合わせ

それを感じる必要が

あるのです

 

そこには

みな平等であり

至福状態にある

無限の可能性を秘めた

神と言う粒子の

ワンネスという

大海原があるだけです

 

そして

その際大事なのは

執着・固執しない為にも

すべての階層を

受け入れるという意味でも

 

地獄だったり

天国だったり

常に様々な可能性を

持っているということを

自覚していることだと

感じています

 

 

 

 

 

 

 

 

感じることより

考えることに

重きを置くと

 

もともとある

感じることが

基盤にある

本来の自分を

信じられなく

なりがちです

 

そうなると

自分を否定して

自分の存在に蓋をして

 

自分の存在から

外に向かって

逃げようとする

ベクトルの

エネルギーが

発生し続ける

ことになります

 

これは

心身に過度の

緊張状態を

もたらし

 

摩擦により

極度の疲労を

もたらします

 

緊張・摩擦を

減らしたいと

願うのなら

 

自分から

逃げようとする

外向きのエネルギーを

 

素の自分を

感じようという

内向きのベクトルの

エネルギーに

変えることが

大切なことだと

感じています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極端に

心の針が振れ

それに執着すると

その反対に

行きずらくなり

心が固まってしまう

 

しかし

どちらにも振れる

針の中心に

いることで

どちらに振れても

許容できる

心の余裕が生まれる

 

中庸とは

すべての可能性を

包含する

心の柔軟性をもつ

生き方であり

 

すべてを認める

至福へと

いざなう道である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今ここの

現状の自分を

無条件に

受け入れ

愛すること

 

その先にのみ

平安

安らぎ

至福の

海原がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全きの

素の自分とは

執着・抵抗する

必要もなく

力む必要が皆無の

 

初めから

もともとある

自然体でいられる

凪いだ場所に

 

凛としてある

光源のような

ものであり

 

力みがあれば

それは

自分のセンターが

素の自分から

離れていることを

意味している

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の自然な発露を

思考で置き換え

分析しようとするから

それが制限になり

それが執着となり

心が軋み

苦しくなる

 

心のエネルギーの

自然な発露を

思考で

意味づけ

しようとしない

 

そして

思考の枠に

何一つ

納めない

ことが大切

 

また

どんなに

自分の心の発露

(自分の感じ方)を

否定されようが

 

自分は

自分の

感じ方でしか

本当の人生を

生きれない