今日は雨の日。
空から舞い落ちる透明なキャンディを眺めていた。
ピシャピシャ。
飛沫と波紋。
ジーっと静かに五感は雨。
何時間でも眺めていられそうだった。
コンクリートに落ちて、砕けては飛び散る水滴の光。
瞬く間にすごいスピードで数えきれない数の水滴がはじけてゆく光景は圧倒的だ。
「おぉ…」とか「うわー…」としか言えない。
目にもとまらぬスピードで次から次へとピシャピシャパシャパシャ。
まるで流体のダイアモンドのようなそれは不思議さと美しさに満ちていて、自由で優しい躍動だった。
それは楽しいこと。
でも、騒がしいものは何一つなく、とてもとても静か。まるで一切が無のようでさえある。
大袈裟なドラマチックさは、特に無い。
そこにはただ、雨が降っているだけだから。
でも、それは無量で広大無辺。
仕事の合間、煙草を吸いながら一人真顔なまま静かに空っぽのままそんな風に感動していた。
実際はそれは感動というわけでもないのだろう。ただ静かだから。
心が「楽しい!!」と沸き立たずとも、私自身の存在性自体が既に楽しいのだ。
感情の水面を激しく揺さぶることの中には本当の楽しさや本当の幸福は無い。それらは現れては消えてゆく儚いものだ。
超常的な意識状態における至福もまた、現れては消えてゆくものでしかない。
常に既に自ずと自然に在るものだけが、それだけがまことだ。
心がアートマンと呼ばれるそれを否定せず、否認せず、卑下せず、それと共にあるならばそれぞれの瞬間はそれぞれの瞬間ごとに、常に完璧だ。そこでは完全という言葉も不完全という言葉も意味をなさない。
人はそこに自分が考える完璧というものを押し付けようとして足掻くものだが。
それは無益な闘争でしかない。
その小さな働きがそのまま大きなレベルにも反映されてゆく。人生全体、世界全体。
そこでは戦争における勝利だけが正義だ。
誰もがその勝利者になりたいと望んでいる。優越者になりたいと。人間の幸福とはそのようなものでしかない。
しかし、もういいだろ、そんなものは。
スキャットマンおじさんも歌っていた。
「敗者とその悲しみを生み出すような勝利が本当の勝利だとは僕は思わない」と。
さぁ、世界の喧騒にのみこまれることなく、静かに雨を楽しもう。