デトロイトコブラスのカヴァーソング「bad girl」。
この曲はずっと前から好きだったけどオリジナルの方は聴いたことがなかった。
数日前、ふと思い立ちオリジナルを聴いてみた。
先ずは誰の曲なのか?調べてみるとthe obliviansというバンドらしい。
デトロイトコブラスというとオールディーズのカヴァーばかりやっている印象があったけど、the obliviansは90年代から活動しているガレージバンドのようだ。
ガレージロック系はディープなアングラカルチャーだからマニアックなバンドが多すぎる。
俺はほんの少ししか知らないけど、その界隈ではthe obliviansも有名なバンドなのだろう。
それで元々のオリジナル、「bad man」を聴いてみた。
oh…。
これは俺、好きだ。
サビのシャウトの所とかナンバーガール時代の向井秀徳を彷彿とさせる。
やるせない情感が叫ばれた曲と言って差し支えはないと思う。
こういう声は音声ソフトには出せない。
多分、どれほど音声ソフトが進化してもこういう声は出せないと思う。
デジタリックで綺麗な声とかは初音ミクとかみたいな音声ソフトでも良い感じに出せると思う。
↑こんな感じにね。こういうのも大好きだよ。
初音ミクだと「ワンダーランドと羊の歌」が好きだな↓
世間で「初音ミク」というワードが流れ始めた当初、俺は初音ミクとやらを実在する人間のアイドルかなんかだと思っていた。
だから初音ミクがロボ(ボーカロイドっていうのかな)であって人間ではないと知った時はびっくりしたものだった。
スゲー時代になったものだなと思ったよ。
要するに初音ミクとは人間が生み出した概念的存在であり、その概念に絵やCGなどで姿を持たせて音声ソフトで声を与えたものということだ。
だから初音ミクは肉の身としては実在しないが概念としては存在するとも言える。
この先、初音ミクに固有のAIが搭載されたらいよいよその存在は実質性を帯びてくることだろう。
初音ミクに関しては何曲か聴いてみたけど、俺は「ワンダーランドと羊の歌」しか好きな曲はなかったな。これは単に好みの問題だ。
あっ後ね、謎にスターリンの「肉」を初音ミクに歌わせてた動画があってそれはネタとして好きだった(笑)。
何故初音ミクにスターリンを歌わす(笑)。面白いよね。結構良いよ。俺は嫌いじゃない。
そんな感じで俺は音声ソフトの声も好き。
しかしグルグルドロドロ渦巻く情感のうねりのような質感は音声ソフトには出せない。
それは人間の声でしか出せない。
先のスターリンの曲とかが良い例だろう。二曲目の「アレルギー」とか遠藤ミチロウののたうちまわる感じのあの声は音声ソフトでは出せない。
AIがこれから先、どんなに進歩してもそれは変わらないだろう。
AIの自我はAIの自我性であって、人間のそれとは異なる。
愚かな人間にしか経験しえない情感がある。愚かな人間にしか生み出せない情感がある。
人間には血が流れ、AIには電気が流れる。
そのギャップだけは変わらないだろう。
どっちも良いんだけどね。
ただ、人間の方も忘れないでいたいものだ。
人間の声の方もね。そっちもそっちで良いから。
そう遠くない未来にAIの作曲した曲も増え始めてくるのではないだろうか。
そしてそれは普通に良い曲になると思う。単にメロディの旋律だけでいったらめちゃくちゃ良いメロディをAIは作れると思う。
何せ膨大な情報の中から最適解だけを抜き出し組み合わせる作業を一瞬で出来てしまうのだから。
ただキレイな声、キレイなメロディってだけならAIと音声ソフトが最良の形態を提供してくれるだろうから、人間がわざわざ苦労して自分達でそれを作ってやる必要がなくなっていってしまうのかもしれない。
そうなるとイギー・ポップのような肉体的なアーティストの存在価値が相対的に上がるのかもな。
血と肉、トグロを巻きドロドロとグオングオンと渦巻く感情。
その演目だけはボーカロイドにもAIにもできないと思うから。
それは肉の身とそのアナログな精神を持ち合わせた人間の専売特許ではないだろうか。
AIが更にブラッシュアップされてくると今よりずっと繊細なクオリティで人格を再現できるようになると思う。
ただAIは愚かにはなれないんじゃないか。
馬鹿のふりや、演出された愚かしさは表現できても、人間ののたうちまわる愚かな感情は人間の愚かしさでしか表現できないと思うんだよな。
後は人間とAIの協力という方向性で人間でもAIでもない何かを生み出すことも可能になるだろう。
それはそれとして俺はobliviansのbad manのような人間特有のやるせない気持ちや満たされきれない何かといった声も忘れないでいたい、ということだな。少なくともアート表現に関しては。
そう、こんな感じのもの↓
これは俺にとって、懐かしい人間の姿の一つだったのだ。