ネットを見ていたら「チェス入門βのレベル5に五十回以上負けてようやく勝てた」と書いている人がいました。
多分、私がチェスを勉強せずに闇雲にチャレンジし続けてたらレベル5にもっと沢山負けてたと思います。私の場合、五十回の連敗じゃきかないかもしれません。
私はレベル5に関しては三回くらい負けて、スパッと再戦をやめました。
レベル4を無意味に十回以上やって負け続けて学んだんです。
勝てるレベルに達してないままやたらチャレンジしても意味がない、と。それだけではほとんど何も学べないし、成長は著しく低速であると感じました。ならばその時間を勉強に回した方が良い、と。
それで私は勉強をした後、レベル5に勝てました。
日付を見るとレベル1を初めてやったのが先月の27日。レベル2を初めて試したのが今月の初旬くらいでしょうか。そこからレベル3まではサクサク勝利。レベル4で完全に行き詰まり、一度きちんと勉強。
レベル4に勝ったのが今月の12日。そしてレベル5に勝ったのが18日(つまり昨夜の0時過ぎ)です。一休みした後にそのままレベル6もクリアできました。
レベル3のクリア棋譜画面はブックマークに残していないので日付は忘れましたが、多分二週間くらい勉強してからレベル4に勝ったんだと思います。本当はもっと時間をかけてからチャレンジするつもりでしたが、なんとなくやってみたら勝ててしまったので。
レベル4に勝った直後に「もしかしたら勝てるかも?」と思いレベル5をやってみたのですが…さすがに最終レベル近くですからそのままでは勝てず。
それですぐにチャレンジはやめました。
逃げです。戦略的一時撤退です。
レベル4を無意味にチャレンジし続けた愚かな固執が結果的にレベル4のクリアを遠のかせていた気がするので。
なのでレベル5も闇雲にチャレンジしていたらもっと負けまくって、もっと時間がかかったと思います。頭の良い人はそのやり方でも要領良く何かを学んでいけるかもしれませんが私には無理そうです。
そしてそもそもボロボロに負け続けるのはさすがに楽しくありません。良い勝負をして負けた、とかなら楽しいですが、わけもわからぬまま一方的にボコボコにされるだけのゲームは楽しくありません。
負けるという経験自体は良いのですが、その敗北を何度も同じように繰り返しているだけのことは良くないと思うんです。それならば一旦逃げて体勢を整えた方が良いと。
負けることによって自分の至らなさがわかるわけですが、それがわかったならそこに対しての対応に着手しなければ無意味です。そうでなければ負けの経験が効率よく活かされないでしょう。
勝てない戦いにダラダラとチャレンジし続けるよりチェスを学ぶ方が楽しいことでもあります。チェスの勉強自体には勝敗はありませんから、フラットな心で楽しめます。
そしてこのことは人生における全てのことに言えるのではないかと思います。
なんでもかんでもチャレンジし続ければ良いというわけでもない、と。
一旦逃げて準備を整えることは闇雲に戦い続けるより遥かに攻めの姿勢なのではないかな、と思うところも個人的にはあります。
実生活においても逃げることの方が遥かに勇気を必要とする場合は少なくありませんし。
レベル4からレベル5、6のクリアまでの6日間。
私はその間、めちゃくちゃ勉強しまくったのかというと、そんなことはありません。
本を見て棋譜を並べたのは二回程度、タクティクス問題などもそんなに解いていませんでした。チェスの本を数冊ほど買ったのはいいんですが、全然読み進められてないんです。ようやく一冊だけ後少しで一回目が読み終わるくらい。
本気を出せば、チェスを勉強できる時間自体はもっとあるんですけどね(^^;でもそんなに気合い入れてないので。
帰って来た仔猫のことに時間を割いていたのもありましたし、疲れていたり気が乗らなかったりであまり勉強はしてませんでした。
そんな時は無理しません。トボトボ散歩のスピードでゆきます。
ただ、レベル4に連敗した後にやっておいた勉強で学んだことが、そのままレベル5と6に応用できて活かされていた部分が大きかったのでしょう。
Twitterではレベル6に500連敗してまぐれで4回だけ勝てた、と言っている人もいました。
私もレベル6はまだ毎回確実に勝てるわけではないと思いますが、それでも3〜4回のチャレンジでまず一回は勝てました。昨日のことなのでそれからはまだやってませんが、一回勝てたので暫くはチェスの勉強のみに専念するつもりです。
「頑張ればちゃんと狙って指してレベル6に勝てる」というのがわかったので、当分はチェスの勉強だけしていようと思いますが今のままやってみても多分500連敗はしないと思います。
それは私にチェスのセンスがあるから、というわけではなく基礎の勉強を一から始めたからだと考えてます。
チェスのセンスで言えば私は皆無でしょう。本当に残念なくらいそっち方面(理数、パズル、パターンを考慮した先読み、記憶力など)の頭が馬鹿なので。
結構、ネットでは「チェスを上手くなるためにはとにかく対局しまくるのが手っ取り早い」とよく言われています。CPUでも良いけど、できれば対人で。
でも私はそうは思わなくて。
ある程度のレベルになったら対局を重ねてゆくことが良いと思うんですけど、まだ初心者の内はチェスの基本をじっくりと学んだ方が良いと思うんです。
初心者は何もわからないのですから、対局してただ負け続けてもその棋譜をちゃんと分析できないはずです。少なくとも私はチェス入門βのレベル4でそうでした。
そもそも棋譜解析自体してませんでしたし、しても何も見えてこないでしょう。チェス的思考、チェス的分析のその視点、見方がまだわからないのですから。
そうであれば、ただ連敗し続けることにはあまり意味がありません。それならば茫然と本を読んだり、茫然と問題を解いていた方が自然にチェスが身に付いてくると思います。実際に私はかなり茫然としたまま勉強してますし、それでレベル6にもひとまずは勝てましたし。
まずは簡単な定跡、単体の駒の効果特色、それに加えて自分と相手の他の駒との兼ね合いによる効果の広がりや変化など、そういったパターンを学ぶことが良いと思います。
タクティクス問題やメイト問題をやってると実際に対局せずとも自分がよく見落とすパターンとかが見えてきます。
それらの問題は要所の局面を切り抜いた状況における最善手の考察ですから、一局全ての棋譜より短い時間で易しく分析ができます。
そしてその切り抜かれた特定の局面というもの自体にある種のパターンがあり、その対応に慣れてゆけば自然とゲーム全体に反映させて考えられるようになると思います。
私自身そう考えているのに加えて、ある上級者さんのブログでもそのように語られていました。
ポカーンとしたままボサーっと勉強してる私でさえ、ある時点で「あぁ、俺はダイアゴナルの効きの読みを毎回きちんとしてない。それで駒得や駒損を見落としてる」と気づけましたし、「ん、これはメイトへ持っていけるチャンスがあるかも」とか少しだけ感づけるようになってきました。
チェスに対して野心のある人ならばそういった自分の注意点や特定の局面における効果的な突きのポイントをサクサク発見して、どんどん是正・成長できてゆくと思います。
棋譜を解説した本とかはその時々の状況において何が最善手で何が悪手か、何故そうなのか、そう指すとどうなるのかが説明されています。わけもわからないまま指した自分の棋譜を分析してみるより、学べるポイントが多いと思います。そもそもわけもわからずに指した棋譜を分析しても解読できるものは何もないとも思います。そこには戦略的な意図が初めからないのですから。
わけもわからぬままボコボコにされ続けても、そもそもその敗北要因や相手の勝因などを分析できるだけの知識がないとほとんど経験値にフィードバックされないんじゃないでしょうか。全くゼロではないとも思いますが、効率は非常に悪い気がします。
負けの経験が活かされるのって、やっぱりそこから何かを着実に学び取れる時に限られていると思います。なのでまずは自分自身が「負けから何かを学べるレベル」にならないと、対局を重ねることにはあまり意味がない気がするんです。
チェスファン御用達のサイトで人間と対局したら、もちろんレーティングにもよりますが大抵の人はチェス入門βのレベル6より強いと思います。
そんな初級者以上、中級者以上の人々と無闇に対局を重ねても自分は多分楽しくないですね。一方的にボコボコにされ続けるだけでしょうから。
そういう完敗の経験がちゃんとステップアップに繋がるのは初心レベルを脱して以降のことだと思います。
初心者はまず真剣勝負の荒波に溺れて窒息しかけるより、一歩一歩じっくり学んでゆくことが結果的には時間の短縮にも繋がるのでないかな。
そして結局は人それぞれ、自分に合ったやり方というのが一番良いと思います。
私は他者のアドバイスに耳を傾けつつも、自分に合ったやり方をしています。
人はみなそれぞれ違うのですから、他者のアドバイスだけではどうにもならない部分が必ずあって。それはチェスに限らず全てのことが同じでしょう。
ネットに散乱する沢山のアドバイスを一つ一つ見ていき、その中で共通している部分を切り抜き、その点を最低限の注意事項として覚え、そこを起点に自分自身の感覚で自分自身の感覚を育んでゆくことがそれぞれに合ったそれぞれのやり方だと思います。
「それが何なのかわからないから、何をしていいかわからない」わけですが、わからないからこそ良いのではないでしょうか。
私達は、わからない時は短絡的に「わかりたい」と焦って思いがちですが、それは要点から逸れていると思います。
もちろん「わかりたい」と思うこと自体は自然なのですが、本当にわかりたかったら「わからない」という事実そのものに向き合って「わからない」というその自分自身のまま歩んでゆくことが大切だと思います。そうでないとそのわからない自分が変わっていきません。
「わからない」ということを否定しようとしていては先に進めないのですから。「わからない」を「わかった」に変えようと欲すのではなく、「わからない」にそのまま向き合うことが「わかるために必要なこと」だと思います。
チェスでいうならばその第一歩はシンプルに基本を学ぶことだと私は思ったので、悩むことなく淡々と基本を学び続けることに着手しました。効果があるのかないのかわからないまま。
それで結果的にチェス入門βのレベル6をクリアできたので、それで良かったのだと思います。
対局をひたすら重ねる、というのは基本であったり常套手段の定跡とその展開パターン、駒の有効活用の仕方とそのパターンなどを最低限身につけてからで十分だと思うんですね。
例えば白e4、黒d5というオープニングだと、次に白exd5と指すと高い確率で黒Qxd5となります。人間もそうでしょうし、ある程度のレベルのCPUもそうでしょう。チェス入門βのレベル6はそうでした。それが定跡なんですね。
そうなるとその黒クイーンを牽制するために白はNc3と指して、それでクイーンが逃げてゆく…というのが定跡の流れなわけですが、それを知らないとどう対応していいかさっぱりわかりません。
「d5ポーンが来た!どうしよう?相手はe4ポーンを取ってくるのだろうか?先にe4ポーンで取るべきか?あるいはd3やf3にポーンを突いてe4ポーンをケアすべきか?それかとりあえず駒展開のためにナイトを上げてみようか」
オープニングは駒がまだ展開していない分、私のような初心者には先が未知数過ぎてわかりません。なので、あてずっぽうで指したりします。そのままわからないまま続きます。
考えもなしに適当にそれっぽく指して様子を見ていると、ある時点で盤上の状況が見えてきますが、その頃には既にCPUが相互にケアされた駒で攻撃の体勢準備を整えていたりします。気づいたら既に劣勢。動かしたい場所は既にCPUに押さえられていて、どうやっても駒損になるから動かせない。結果的に動かした駒を出戻りさせたり。そんな経験がチェス入門βのレベル4の時に何度もありました。
そのわからないままで何となく対局をただ続けるより、過去のチェス愛好家達が歩んで残してきた地図をヒントにした方が話が早いと思うんです。まずはこう指す、そしてこう来たらこう返す、それとは違う手で来たらこうでもOK、といった決まったパターン。
上記の場合はe4ポーンで黒のd5ポーンを先に取るというのが一つのパターンとして決まっているので、悩む必要がありません。私がチェス入門βのレベル6に勝った時もオープニングはその展開でした。
ただその後にクイーンが逃げつつチェックを入れてきたのですが、その逃げ方は(多分)最善手ではないとされていて(何故なら戦略的にほとんど意味のないチェックだから)、そこがあくまで入門用レベルのCPUの指し方なのでしょう。
チェス界に定着している定跡に従う…初心者の内はオープニングに関してはそれで良いと思います。プロの人達でさえ、オープニングを定跡そのままで指す場合が少なくないのでしょうし。
どのみち、序盤の最善手をゼロから自分で考えても結局最終的には定跡のパターンと類似した手になるのでしょうから初めから予めそれを学んでおいた方が理にかなっています。なにせ、チェス史に残る頭の良い人達が長い時をかけて発見して構築してきたパターンなのですから。
状況に応じて定跡にとらわれない手などを指すのは、基礎を学んだ後で良いと思います。
死にもの狂いに勉強せずとも、そういった基本はすぐに学べます。
チェス入門βのレベル6に勝てない!
となったらただ無計画に何度も再戦するより、チェスの勉強をした方が良いと思います。
私は「少し勉強したら何日も休んで〜」みたいなスローペースでしたが、本気を出して休日に二日も勉強すればチェス入門βのレベル6には勝てるようになるのではないかと感じます。
私がやった勉強量が二日分にも満たない程度だったので。(その量をノロノロと日数をかけてやった感じです)
上級者になるには、それに加えて対人戦の経験や月日の経過による練度の上昇が必要になってくるでしょうし、プロのレベルになるともう生まれ持っての才能が決定打として問われる次元の話になると思います。
ただ趣味としてチェスを楽しむならばそんな大袈裟な世界を目指さなくても十分楽しめるわけですから。
なので、アマチュアは楽しむ心を忘れずにやっていればそれで十分でしょう。
「勝つ意欲」はたいして重要ではない。そんなものは誰もが持ち合わせている。重要なのは、勝つために準備する意欲である。 ボビー・ナイト(バスケットボールコーチ)
↑チェス入門βに表示される「今日の名言」。私がチェス入門βのレベル4〜レベル6をクリアするためにやっていたこともこの言葉と同じだと思います。
私がチェス入門βのレベル4〜6をクリアするまでに読んだ本は「チェス上達の手引き」という棋譜本の7割程度、それと「ボビー・フィッシャーのチェス入門」を3割程度です。まだ全部読めてません。棋譜本は実際にチェス盤を広げて再現してやっています。
ボビー・フィッシャーの教則本は「この一冊を何度もただ読んでいるだけで、自然とチェスの基本が身についてゆき、じきにちょっとやそっとでは負けなくなる」と、ある人がネットで言っていました。本当かどうかわかりませんが、私は多分そうなのだろうと思います。
本を読むのは楽しいのですが疲れもします。特に私のような初心者には棋譜の記号を脳内や実際の盤上での駒の動きに変換するまで時間がかかるので。
YouTubeのチェスチャンネルを眺めるだけならそこら辺が気軽で良いです。言葉によるわかりやすい説明もありますし。ただ見て聞いて「あぁナルホド」と思っているだけでも少しずつそれが擦り込まれてゆくと思います。
本を買わずともチェスブログやチェスサイト、YouTubeなどのネットの情報から勉強するだけでも十分だと思います。私は紙という媒体の方が好きなので本を買いましたが。
私も空いた少しの時間などを利用してリチェスとチェステンポのタクティクス問題やメイト問題をチョロチョロやってました。設定にもよるのかもしれませんが、リチェスの問題の方が難しい気がします。
問題についてはちゃんと考えて解く時もあれば、感覚だけでとりあえず指してみる時もあります。頭で考える力と感覚的な勘の力、どちらも大切だと思うので。その双方がそれぞれ互いに助け合うとより進歩できる気がするんですね。
初めの内はすぐにサジを投げて解答をとりあえず先に見て、何故そうなるのかを分析して理解するというやり方もしてました。
そうやって考える練習をする前に解答をいくつも擦り込んでいってたら、少しずつ自力でも考えられるようになってゆき、解答を見ずとも解けるようになっていきました。私の場合、考える練習をする前に「考えるための元手となるデータ」が無いと自力で考えられないので。
だから初めの内はどんどん解答を見まくってやってたんです。ただ解答を見たらそれをちゃんと理解する考察はしてました。
全部、茫然とやっていただけで自然に自分に馴染むのをただ待つ感じです。
そこで意識的に気合を入れて取り組むともっと早く上達して覚えられるのかもしれません。あるいは肩の力を抜いて半分無意識にやってるのが逆に良かったのかもしれません。そこは当人の好みのやり方で良いのでしょう。
Googleで「チェス入門βレベル6」と打って見た時に「勝てない」という声が散見されたのでこの記事を書いてみました。
地頭が比較的悪い初心者の私でも、きちんと対応策を取ったら三週間ほどでレベル6に勝てました。なので「自分に合った学び方を探して実行」すれば、レベル6に全然勝てないということはないと思います。
この記事がチェス入門βレベル6に全然勝てない人の方針変更のきっかけになればいいなという次第であります。
方針変更とは「勝てる算段がないまま闇雲に再戦し続けることをやめる。そしてその空いた時間でまずはチェスをちゃんと勉強する」ということです。