大切なもののために生きる | ぽっぽのブログ

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綴ることなく綴りゆき、やがて想う果て、彼方へ消えゆく定めの声か


ブログを放置してた間にアニメ「カイバ」を視聴した。ずっといつか見てみたいなと思ってたのね。


面白かったです。全部で12話。


YouTubeに全部上がってた。


先日のmischiefというバンドや鬼滅などもそうでしたが私、気に入った作品はなんであれいつかちゃんとお金出して買おうってタイプの人間(じゃないと作者にお金入らんしね)。


だからカイバもいつかdvdをちゃんと買おうと思った。


その代わり、著作権的にアレなアップロードのものもバンバン見聞きしますけどね。そもそもYouTubeなんてそんなんばっかだしの。



アニメ「カイバ」。


人間の記憶(=人格=心)をデータ化してチップに保存できる世界のお話し。


そのチップを色々な身体に移し替えたり。


ディストピア?的な世界観かな。


上流階級の世界に住む人々が、底辺の世界に住む人々を管理してる世界。まぁ、現実世界もそれと同じ構造なんですけど、カイバの世界では物理的に上層・下層で住むスペース自体が分かれてたりします。


世間では鬱アニメと言われてるみたいね。


俺はそこまで鬱な気はしなかったんだけどでも明るいお話しではないね。


確かに悲しいエピソードは多い。


いやまて、思い返してみるとほとんど悲しいエピソードしかないな。


すまん、単に俺の鬱耐性が強いだけかもしれん。


確かにこれは一般的には鬱アニメなんだろう。


でもただ鬱なだけの話しじゃなくて、物語として面白いんですよ。ちゃんと意味のある悲しさというか。


その悲しさを踏まえた上でラストには一つの救いもあるし。(そのラストの救いも人によってはバッドエンドなのかもしれないけど。全ての人の記憶がゼロに戻って無垢からの再出発的な)


そんな作品「カイバ」。


主人公カイバが記憶を失った状態から唐突に物語は始まります。見てる側は初め全く意味がわかりません。最初、あれ?これ1話だよね?と思いました。


物語開始早々、何故か追手に追われるカイバ。そして元の身体から様々な別の身体に乗り移り、色々な星を巡って旅をする。


その中で、自身のアイデンティティについて悩んだり、過去の記憶の秘密を思い出したり。出会った人々との様々なエピソードがあったり。


色々と考えさせられる内容ですね。


物語の最初はちょっとダルいんだけど、クロニコが登場する三話目くらいから面白くなってく。


でもその最初の部分も、全部物語を見終わってから見返すと繋がる部分があって面白い。というかこれ一回見ただけじゃ絶対理解できないと思う。時系列が一部入り乱れてるので。


心優しい少女、クロニコ。簡易ボディーを身に纏って逃げて来たお尋ね者のカイバを助けてあげる少女。


物語のヒロインはネイロというキャラなんだけど(そのネイロもオリジナルと独自のアイデンティティを形成してしまったコピーとで二人いるからややこしい)、クロニコの方がヒロイン度が高い気がする。カイバがクロニコのボディーを借りたまましばらく物語が進むし。


「私この身体でいられるの今日で最後なの。だから今日だけは私の思い通りに生きてみたいんだ」


自分の身体が上層の偉い人に売れたことを嬉しそうに話すクロニコ。


その身体でいられる最後の一日だから、自分の好きに生きたいと語ります。クロニコは家計を支えるために働いていて、好きに生きることができませんでした。


でも最後の一日くらいは好きに生きたい。


それで何をするのかと言えば、困った人を助けること。クロニコ良い子すぎて泣けます。


身体が売れて、記憶をチップ化するはずだったクロニコ。新しい身体を義母に買って貰えるまでチップのまま「クロニコという個人」を保存してもらうはずだったのですが。


実はチップ化はされずそのままクロニコの記憶は分解されて宇宙を漂うことに。要するに個体としての一つの自我、そのクロニコは死んだわけですね。


身体だけ売ってクロニコの人格はチップ化せずにそのまま見殺しにした義母。なんだか嫌なヤツっぽいですね。カイバも憤りを覚えていました。


しかし義母がそのお金で買い戻した自分の記憶をチップに戻してセットするとーー自分の姉とその子であるクロニコとの三人の思い出が蘇るのでした。

姉が他界しても残されたクロニコを我が子のように愛して育てていた義母。自分の実の子が生まれてもクロニコを差別することなく愛していた義母。



しかし旦那が亡くなってしまうと徐々に生活は苦しく。


それで義母は生活のために自分の大切な記憶を売ってお金に変えていたんですね。クロニコ達を養うために。


そうして愛情の記憶を失った義母は人格が変わっていってしまい、最後は実子ではないクロニコを疎ましく思い、遂にはクロニコの身体が売れてもチップ化はせず見殺しに。


当のクロニコは「自分の身体が売れてそのお金で家族の生活が少しでも楽になるならそれでいい」と言っていたのですが


全ての記憶が戻った義母は自分がしてしまった過ちを理解し、クロニコの名前を叫びながら泣き喚くのでした。


なるほど救いがねぇな。


大体まぁ、こんなエピソードばかりですね。


でもこういうのって「ただ鬱」っていうより、「こんな過ちって結構ありふれてるよね」的な教訓の意味合いが強いと思う。


創作物ってその特性上、表現はオーバーになってますが、その表現の元となったものは私達の心にありふれた様々な側面や出来事。


なので、物語のエッセンスをシンプルに捉えて現実に当てはめると、やっぱりそれは大抵とても身近なことだったりすると思います。


本当は愛していた相手なのにその想いを忘れてしまい、つい酷い態度を取ってしまったーーー


そんなことは多くの人が経験あるんじゃないかな。


クリシュナは怒りは記憶の混乱をもたらすと説いてますが、ついカッとなってとかそんな状態の時、自覚への気づきがエゴの動揺に覆い隠され、そして本来の想いを忘れ、悪しき想いに流されてしまう…好きな相手に対してでさえ時に酷い態度をとってしまう。


そんな小さな過ちに対する警告のメッセージがクロニコと義母のエピソードから読み取れるんじゃないかな。


その後、クロニコのボディーはカイバが乗り移り、しばらくカイバは「心は男で身体が女という奇妙な状態」に。そして性のアイデンティティを見失い混乱したり。


クロニコに恋をした警官のバニラを利用して一緒に旅をしたり。


バニラのエピソードも悲しいね。バニラは悪徳警官だけど、どこか憎めない。完全な悪人ではなくて、クロニコに一目惚れしてからはクロニコに尽くすために少しずつ性格も良くなっていってたんじゃないかな。


バニラはクロニコのことが好きなんだけど、肝心のクロニコの中身はカイバ(男)だから初めから絶対に叶わぬ恋。


クロニコ(カイバ)を助けるために法を破って警官もクビになり、最後はクロニコを庇って死んでゆく。


バニラはチップ化されている母のために身体を買ってあげる資金を貯めてたんですけど、それもクロニコへの恋によって叶わぬ夢となってしまいます。恋は盲目ってな。


記憶がデータとして転送され、チップに保存されていれば身体が死んでも再び同じ心・自我を伴って別の身体で生きられるのですが、バニラはそのような保険がない。今ある身体が死ねばそれまで。


それでもバニラはクロニコを心配させないようにと「この身体がなくなってもすぐに別の身体に入ればいいだけだから俺は死んでも大丈夫」と強がってみせる。


バニラがクロニコを助けるために彼女の記憶チップを抜き取る時、バニラは最後の別れにキスをするのですがクロニコは拒絶のポーズで唇をグッと閉じていた。


拒絶のポーズのままチップを抜かれて停止したクロニコボディーを見てバニラは苦笑い。自分が好かれてないことはわかってたんでしょう。切ないですね。


最後にクロニコの記憶を安全な場所に転送し、自分はクロニコのボディーと一緒に爆散。


その時、一瞬バニラには停止したクロニコの顔が微笑んで見えるのですが、それはバニラの都合の良い想像・妄想だったのか、あるいはクロニコの魂がバニラに助けてもらったことを感謝してのことなのか。


「母ちゃん、クロニコをひとめ見せたかったな〜」


爆散した記憶の粒子の中でバニラの魂はクロニコと抱き合うのでした。


個人的にはクロニコの魂がバニラに感謝してたーーという風に解釈したいですね。


微笑んでいるクロニコの方には白い帽子がないので、その違いの描写が「帽子を被ったクロニコ=中身がカイバ」を意味してて、「帽子のないクロニコ=中身も本当のクロニコ」を意味してたのかなぁなんて。


そこら辺は見る人次第で解釈は変わりますね。



個人的に好きなのはキチというキャラクター。


キチと姉のサテはそれぞれ身体に重い障害を抱えてるんですけど、二人とも「生まれたままの姿で生きる」という信条を持っています。


お金さえあれば好きな理想の身体に乗り換えられる世界なんですが、キチとサテは不便な障害を持った身体であえて生き続けます。


そこらへんの細かい心情は描写されてないんですけど、例え不具でも親から貰った身体を大切に生きたい、生まれたままのこの身体の姿が自分の一部なのだから不完全であっても誇らしく生きたいーーとかそのような心情かなと思います。


サテはともかく、キチは不法な記憶の売買に携わっていたので買おうと思えば健康な身体も買えたはずなので(実際、特注のメカボディーを用意していた)、やはり何か信念があったのでしょう。


機械の車椅子がなければ動けないキチですが、記憶をチップ化して他の健康なボディーに乗り換えるということをしなかったんですね。


それでも最後の最後にキチは片想いだったネイロを助けるために、そして世界を救うために身体を機械のボディーに乗り換えます。


「悪ぃ、姉貴。身体、変えるぜ」


このセリフが妙にカッコよくて。声優さんの声のトーンがカッコイイのね。



「この日のための特製ニューボディーさ!」


いや、カッコいい。ホントカッコいい声。こういう厨二病的な声のトーンたまりません。何度かリピートしてこのシーン見ちゃいましたよ。


そして戦うキチですが、最初は無双しているもののワラワラと無限に湧いてくる敵ロボットに少しずつ武装が減ってゆき


最後は腕や脚をロケットで飛ばしてゆき段々とボディーのパーツが減ってゆくのが切ない。


見ていて「あっ、コイツ死ぬな」って完全にわかる感じなんですけど、当のキチは自分の意思で身体が動かせることにハイテンション。後、片想いだったネイロのために最後の華を咲かせることへのナチュラルハイみたいな感じですかね。


自分の意思で身体を自由に動かせるーー障害を持っていたキチにとってそれは生まれて初めて経験する大きな喜びだったのでしょう。キチは身体を動かせることに対して「気持ちいい!」とはしゃぎます。


もちろんその「気持ちいい!」は特製のロボットボディーで敵をバンバンなぎ倒してゆく爽快感でもあるんでしょうけど。でもやっぱり内実的には、身体が好きに動かせる自由に高揚してたんじゃないかな。


徐々に劣勢になってゆくのに、キチは最後までハイテンション。そのギャップがまた切ない。


「俺は人に自慢できる生き方はしてこなかった。でもアンタに会って俺は大切なことを思い出した。アンタが好きだった。ネイロ、自分を恥じるな。大切なもののために生きろ」


自分を恥じるな、大切なもののために生きろーーーくさいセリフといえばそれまでなのかもしれませんが、個人的にはこういうセリフ大好きです。



キチの姉のサテも片想いキャラなんですけど、キチが片想いなりに悔いなく全力で自分の想いを生きたのに対して、サテは少し悲しい感じでした。


キチはネイロに想いがちゃんと伝わって彼なりに報われたんですけど、サテは最後まで報われない。ほんの一瞬報われたけど、一瞬だけ。結局、最後は自分の手で好きな相手を撃つことに。


でも、サテはそれで良かったんじゃないかな。他にどうしようもなかったんだろうし、報われないと完全にわかってた上でのことだろうから。


同じ片想いの「諦め」でも随分と対照的な諦め方であり、その結果もまた対照的。サテも良いキャラでした。


他にも印象深いキャラクターやエピソードは沢山あるんですけど、きりがないのでここらへんで。


ストーリー的には結構壮大でラストシーンは惑星全体の記憶?とかの話になってくるんですけど、面白い作品でした。ストーリーの根底には母性愛や親の子供に対する無償の愛というものについての描写もありますね。


悲しいエピソードは多いんですけど、なんというか中毒性のある悲しさです。


デビルマンの原作を初めて見た時、一週間くらい「う〜ん」という何とも言えない感傷が残りましたが、カイバも数日ちょっと余韻が残りました。なんともいえない、なんかようわからん感覚が。


そして先にも書いたけど、これ一回見ただけだと話がよくわかりません。


細かい伏線のところとかも、考察読んでそれから見返してようやくわかるような。


当時はWOWOW?かなんかで放送してたみたいですが、こんなんリアルタイムで一回通して見ただけじゃ絶対にわからんよ。


そんな感じで私も二周見ました。全12話なのでコンパクトだし、話も面白いから楽しく見れました。


後、絵柄が好きですね。手塚治虫タッチな感じの絵。かわいい絵なんですけど、内容はグロいところもありそのギャップも魅力ですかね。


サウンドトラックも良いですね。


10年以上ごし?でようやく見れて良かったなーと思いました。