ものすごい久しぶりに丸尾末広の絵を見て、またコミックスを読みたくなった。
「笑う吸血鬼」とその第二巻である「ハライソ」以降は買い集めてなかったんだよ。
あれはあれで名作なんだけど、なんとなーく自然と追いかけなくなった。
丸尾末広って殆どの作品が短編だけど、笑う吸血鬼を見て長編(とは言え普通の漫画に比べたら遥かに短いが)には向いてないのかなーと感じるとこもあり。
勿論、笑う吸血鬼はそれはそれですごく良い。単なる消費物になってしまっている漫画などに比べるならば、芸術性が高く、詩情も深い。
しかし一つの纏まった物語としては少女椿には及ばずと感じたのも正直な感想。そもそも比べるものでもないんだけどさ。
漫☆画太郎とかも長編向きではない作家だと思うけど、そんな感じ。(漫☆画太郎も丸尾末広と同じくらいパンクというかロックだと思う)
結局、怪奇さとわかりやすさのバランスが絶妙に上手くいってる少女椿が長さも含めて作品としては一番良いかなと。
勿論、わけわかんないドラッギーな短編も大好きだけど。
ギチギチくんとか江戸川乱歩のパノラマ〜とかも刊行されてもなんとなーく買わず。
知らぬ間に結構新刊出てたんだなーと思うくらいで。
しかし先日、丸尾末広を久しぶりにネットで見て「トミノの地獄」と「天國〜パライゾ〜」を読んでみたくなった。丸尾末広の絵なりイラストなりには、うわーやっぱ俺これ好きだわーと感じるものがある。
トミノ〜は丸尾末広には珍しくコミックスで4巻まで続く長編。コミックス4巻で長編と呼ぶのも変な気がするけど。
これは多分、俺的には少女椿に並ぶ名作なのではないかと感じる。
少女椿少女椿と少女椿ばかりが語られるわけだけど、それは仕方がないことだと思う。
実際、代表作なのだし。内容としても代表作たる説得力がある。
ジョン・ライドンがピストルズの業績を必ず語られるのと同じく、はたまた丸尾末広と親交のあった遠藤ミチロウも必ずスターリンについて語られるのと同じく、世に出た表現者としては避けては通れないことだろう。
クラッシュの名盤はロンドン・コーリングであると世間では言われる。確かにそうなのだ。若い頃俺はそこに逆張りして、「いや、コンバットロックだ」とか言ったりしてきたところがある。若気の至り。
コンバットロックも勿論、名盤だ。1stも2ndも。そして当然、サンディニスタも。しかし世間的な部分を考慮した場合、やはりロンドン・コーリングなのだ。
何かのファンになると、時にマニアックな作品などや意外な作品をフェイバリットに挙げることが一つの自己満足になることがある。
それはそれで良いのだが、やはりそれとは別のところでもっと普遍的な判断も必要だ。
そうなると、やはり丸尾末広本人が少女椿ばかりが語られるのをよく思ってなかったとしても、やはり丸尾末広といったら少女椿なのである。
その上で、個人的にはトミノの地獄はその普遍的な名作領域なのではないかなと感じる。ネットに散見されるページやコマを見て、なんとなく直感的に。後、天國も中々ヤバそうだなと。
結局、アート作品というものは、ある一定のレベルを突き抜けるとどちらがより良いとかは言えなくなるものだ。
ストーンズのサティスファクションとジャンピングジャックフラッシュ、どちらがより名曲かといえば、どちらも名曲なだけなのだ。
ストーンズとビートルズ、どちらがより偉大なのかと言えば、どっちも等しく突き抜けてるだけだ。
とりあえず、近いうちトミノの地獄と天國は購入してみようかな。それにつられて買わないでいた他の作品もまとめて買ってみようかな。
余談だけど、俺は丸尾末広が描く少女が好き。
可憐で、だけどどこか闇というか陰りなり不気味さなりも感じられて。
伊藤潤二や梅図かずおの描く女性にも同様の感慨を感じる。
美しさと恐ろしさって実は本質的には同じなんじゃないかなと思う。
トミノの地獄からのカット。これだけだと本当に意味がわからない。多分、この前後のページを見ても意味自体はわからない気がする。これが原爆の予知とかなら意味もわかるだろうけど。どちらにせよ丸尾作品は頭で考えて納得するのではなく、感受性で味わうものだと思う。
ネットで拾った天國収録のディアボリクからのカット。たったこれだけのコマで強烈なパンチを放ってくる。キレッキレやな。題材が題材だから何かを考えさせるものがある…。