5.性感帯と求愛的愛撫 | ぽっぽのブログ

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綴ることなく綴りゆき、やがて想う果て、彼方へ消えゆく定めの声か

「女性にとって乳房は性感帯ではない」


「女性は乳首では感じない」


そう断言するのは勝手だ。ならば私が何処かにいるかもしれない「乳房や乳首で感じる女の人達」をここで勝手に肯定して擁護するのもまた自由だ。ある意味非常に下らないことだが、私には大切なことだ。


「個人的には感じない」と言うのと「女性全体として」というニュアンスでそう断言するのとでは異なる。


俺自身、先に記したようにセックスにおいては乳首も普通に感じるのでそれを女性側全体の意見として「女にとってそこは性感帯ではない=感じない」と断言されると楽しい気分はしない。


明らかにアブノーマルなプレイだったら「(普通は)そんなの感じない。気持ち良くない」とか「ありえない」とか言われても問題ない。その普通じゃない感じを楽しむのがアブノーマルの醍醐味であるわけだから。


別に犯罪とか相手を悪意で傷つける類いでなかったなら同意の元で様々な遊び方を楽しめばいいとも思うし実際楽しいと思う。


セックスとは単に子作りだけの機械的なものでもない。情感的に楽しむものでもあるし、コーランでも正しい夜の営みは肯定されている。


で、胸〜乳首周辺への愛撫ってそこそこ普通じゃないですか。スタンダードプレイの範囲内じゃないかな。男も女もお互いに胸の周辺から乳首とかを愛撫し合ったりしませんかね。俺個人はするのもされるのも好きですけど。


なので「女の方は性感帯じゃないよ」と言われるとじゃあなんで胸部への愛撫がこんなにメジャーなの?と思う。


確かに性器への直接的刺激とは異なるけど、乳首や他の場所でもやっぱり感じるものって大なり小なりあると思う。


これは俺の男性特有の劣情による愚かな妄想なのか?女性は好きな男性からハグされたり体をなでてさすられたり愛撫されても性感帯であるヴァギナ以外では感じないのか?


「そういった求愛的愛撫も大切にしたいし、したりされたりするのは実際に気持ちいい」と思う人は男女問わず決して少なくはないというイメージなんだけど俺が異端なのかもしれない。


これはあくまで私的意見だが、もし「性器以外への求愛的愛撫に気持ち良さはない」のならば個人的にはつまらないセックスだと感じる。


胸は性感帯ではないとわざわざ言葉にして言うということは(そもそも尋ねてもいないが)、「性感帯ではないから感じない=気持ち良くない」という旨を孕んでいるとも解釈できる。


何かしら感じるものがあるならば「性感帯ではない」とは言わないだろうし、わざわざそう言うならばやはり「感じるものがない」のだろう。


しかしそれはやはり個人差のあるものだと思う。


性感的な側面では開発の有無の問題なのだと思う。


そして性感性だけでなく、精神的な方向性の問題でもあると思う。


精神的な側面における愛欲(愛情)の有無。


それは結局、相手にときめいてないだけであったり、本当に好きだったとしてもオープンになりきれていなかったり。そもそも前提的にセックスそのものにオープンになれていないとか。


私は「胸部はみんな感じるものなんだい!」と言っているわけではない。「感じれなきゃダメ!」と言っているのでもない。


そんなのは人によりけりだと個人的には思っているので、ほとんど感じない女性がいても不思議ではないし、そういう人だっているのは自然だと思う。


ただセックスというのは性感的な快楽だけでもないのだから、精神的に相手に対して特別な想いがある場合、愛欲の点においては感じるものが少なからずあると思う。


マリリン・モンローは「真の恋人とは、空を見ているだけでゾクゾクさせてくれるような人のこと」と言った。


そんな相手が自分の身体に触れたなら、やはり情感的に感極まって性感以外の部分でも「感じる」のではないか。その精神的高揚がセックスにおいては結果的に性感にもフィードバックされるのではないだろうか。かつての俺の彼女のように。


俺は基本的にセックスはしない生活を送っているし、以前の記事で「理由」を記したようにセックス自体は高校生の間しかやってないからさほど深くは探究しなかった。


女性の方からホテルに誘われても断ったくらいだ。(多分今だったら行くと思うが。何故なら私が異性と付き合わない理由はもう満たされたからだ)


あっ、ちょっと思い出したことがあるからこの話を少ししよう。


ホテル、つまりセックスの誘いをやんわり断った後、私はその女性と二人で喫茶店に入ったのだが、彼女の方はまだ諦めていなかったようで対面して座っていた席を途中から私の隣に移し、身体を密着させたり太ももや股間に手を伸ばしたりしてきた。あくまでライトにね。普通の喫茶店だったし。


その都度、私はやんわりと手を戻し、やんわりと断った。私としてもそれなりに辛かった。セックスを我慢するのが辛かったのではない。そもそも初めから我慢してもいない。やりたかったら断ることもない。付き合っている彼女もいなかったのだから。


そうではなく、彼女がガッカリして寂しそうになるのが結構辛かったのだ。私は途中で耐えられなくなり「ねぇ、そんなに悲しい顔しないで。〇〇(相手の名前)が魅力的じゃないから(セックスを)しないっていうわけじゃないんだから」と言った。


その女性は「悲しんでなんかないよ」と言っていたがそれは強がりだったと思う。あるいは私を心配させまいと思ったのか。しかし私から見れば明らかにショボンとしていた。


彼女は自分の胸に自信があったらしく、会話の中でその旨を語り「君に触ってもらいたかったのにな」と言った。


だからその女性は恐らく胸に性感的な感応が感じられる人だったのだと思う。それが直接的な性感でなくとも、精神的な高揚の間接的性感として。


話を戻そう。上述の通り、私はセックスについてはさほど探究していないので、熟練してはいない。経験人数も少ない。


それに加えて、私は友達と話すことというと殆ど音楽やアートやインドの聖者達のことばかりで、人々がどんなセックスをしてるのかは人並み以下(昔の高校生レベル)の知識しかないと思う。恥ずかしながら。


だから「女は乳房・乳首では感じない」というのが普通なのかもしれない。


しかし上記のホテルに誘ってきた女性のことと直感的疑念も感じるが故に、その唐突かつ一方的な断定には何かが釈然としない。


〜続く〜