京都の木屋町高瀬川の桜が満開です。

ご周知のように、
さくらの語源は
「さ」は神
「くら」は神の降り立つ処
桜の木そのものが神であり、
木花佐久夜毘売、
富士山と、神話が枚挙しますね。

私の実家の庭は花が好きな母が設えて、
石垣を組み桜の木で囲まれており、
私は2階の自室から眺める桜が大好きで、
しかし遠方の海を眺め飛行機の離発着や
外国航路、商船の往来を好む父が、
ある日、突然に切ってしまったのです。
私は学校から帰り驚き、
自室に駆け上がり泣きました。
生命が絶たれたようにさえ感じたのです。

その後、父は出世競争から転落し、
豪放磊落な態度は鎮るような年月がありました。
私は桜の精の祟りだと本気で信じておりました。
占術を学ぶうちに、
やはりそれは確かな事と得心もございました。

数年前には老いた父が、
庭の東に植えられている月桂樹が、
なぜかその日にどうしても気になった、と、
母がお盆で多用している時に、
庭師も頼まずに登って切った途端に、
足を踏み外し転落し、意識を無くしたのです。

あと数センチずれていれば、
頭を石に打ち付けた場所でしたが、
幸いに数日間の検査などで事なきを得ました。

御神木、
樹齢、と言うように、
樹木や草木には神や生霊、
命が宿ります。
言葉をかければ答えて下さる。
声無き声が聞こえます。

私の父はそれでも運が良く、
護られて軽い仕打ちで済みました。

風水で言えば、
転落や足を踏み外す、
特に左半身は、
先祖の供養が足りない、
と言われます。

ご供養についてはまた後日に。