大混雑の時期をずらして実施。
今宮戎神社の門を潜れば、そこには1400年の時が流れている。推古天皇8年(600年)、聖徳太子が四天王寺を建立する際、その西方の守護として祀られたのが始まりだ。商売繁盛の神として親しまれる「えびす様(事代主命)」の懐の深さは、今も昔も変わらない。
そこからほど近い廣田神社では、少しユニーク。神使は、賢彦名命が乗る「アカエイ」。痔疾や難病を癒やす守り神として信仰を集めるこの地は、かつて紅白の萩が咲き誇る名所でもあった。茶屋の名が、南海電車「萩ノ茶屋駅」として歴史にその名を刻んでいる。
「大阪名物・六道の辻跡」という石碑に、一同ビックリ。あの世とこの世の境界、冥土への入り口さえも「名物」にしてしまう大阪人のしたたかさ。
活気あふれる木津地方卸売市場を通り抜ける。かつてこの辺りが青物の一大産地だった歴史を紐解けば、文化6年(1809年)に幕府の斡旋で官許を得たという、商人の粘り強い交渉の跡が見えてくる。
道すがら、「クボタ本社」の威風堂々とした姿に目が留まる。明治23年、わずか19歳の久保田権四郎が鋳物製造を始めたのが、この地だった。日本の水道インフラを支え、帝塚山学院の創立にも尽力した一人の若者の志が、今の大阪を作っている。
「鼬川くり船発掘の地」の碑を眺め、運河の由来に思いを馳せる。聖徳太子が資材運搬のために掘らせた際、イタチが手助けしたという伝説。そこから古墳時代の巨大なくり船が見つかったという事実は、伝説と現実が地続きであることを教えてくれる。
さらに歩を進めれば、かつての「難波新川」は阪神高速へと姿を変え、その先には
「大阪球場記念プレート」が。昭和25年、煙草工場跡地に生まれたあの球場は、少年時代の憧れ、南海ホークスの聖地だった。
旅の終着点は近い。明治18年、日本最古の私鉄として産声を上げた「南海難波駅」を横目に、昭和7年からこの街の顔であり続ける「髙島屋大阪店」を仰ぎ見る。
喧騒の戎橋に辿り着けば、そこはもう多国籍な熱気に包まれている。船場の商い人たちが今宮戎へと通ったこの道は、今も昔も、人の欲望と祈りが混ざり合う、混沌とした大阪の今を語るような場所だった。





