タイトルはわかりにくいかもしれませんがターンエーガンダムの
ロラン・セアックの劇中台詞「僕はムーンレイスなんですよー」から。
今、見ている途中なのですが人間を媒体にした伝言ゲームの難しさをひしひしと感じます。「平和解決するのにはどうしたらいいのか?」ひしひし感じられる作品です。
前回、「障害者であることを言い訳にしない」といった文章を書きました。
誤解を受けたかもしれませんが「言い訳にしない」のがミソであって、障害者自体は特別悪い事でも、弱い事でも、劣っていることでも、失敗していることでもありません。
ただ、ヒトが違うのです。でも、根本的には同じヒト、人間なのです。
言っていることが矛盾しているって?そうでもないと、僕はそう思います。
みなさん、「自分らしくありたい!」と思う反面、「人に分かってほしい!」って思ったことありませんか?例えば、
A「この曲好きなんだよねー。」
B「え、その曲のどこがいいの?」
A「だって、(これこれこうだから)でかっこいいじゃん!」
B「わっかんないなぁ・・・」
A「えー、だって(これこれこう)だから絶対いいんだよ!Bさんも絶対気に入るって!」
B「ふーん。(Aさんてよくわからない人だなぁ、付き合うのやめよう。)」
そう、この場合Aさんが好きという曲は、「Aさんの感性」で好きなだけで、Bさんにはわかりにくいものです。このわかりにくいというのがポイントで、Bさんは10年後に聞いたら好きになるかもしれません。まあ、一生をかけてもわからない可能性もありますが・・・・
そう、人間はわからないものには警戒するものです。というか、人間だけじゃなく、動物だってそうですね。だから自分の『中』の常識から外れた人は「わからない」と言って排除してしまうんです。
例の場合、Aさんは自分の「好き」という感性をBさんに押し付けています。これじゃ、Bさんも嫌になっちゃいますね。Aさんはこういう場合、「絶対」と言わないで「Bさんも聞いてみるといいよ。」位にとどめておく方が私は理想だと思います。
かと言いつつ、Bさんが「わからないから嫌」という感情をむき出しにしていいかというとそうじゃないと私は思います。「なるほど。Aさんはこういうのが好きなんだ。」と言って認めるのが私は理想だと思います。
障害者と健常者間にも言える事です。健常者の中では「できれば障害者とは関わりたくない。」と思っている人も少なくありません。
なぜでしょうか?
というのも、障害者というものがわからないからです。私の場合精神障害なので、これを例に出しますが、被害妄想だの、幻聴だのいってもそれは私の「感覚」であって他人にはわからないのです。現在では人は他人になる事はできませんので、その痛みや苦しみといった「感覚」はわからないのです。わかるとしても、似たような経験から推測するしかありません。
じゃあ、どうするか?
まずは、こういう「感覚」があるんだなと「自分で認める」ことです。「自分はあの人の事こう思ってるんだな。」「これは面白いなー。好きだなー」「なんかイライラしちゃったな。」と。そういう風に自分を客観視して下さい。
そして、その「感覚」を伝えたかったら表現して下さい。言葉だけじゃなくボディランゲージでもいいですし、写真でも絵でも動画でもはたまた数式でもかまいません。それが、全員に瞬時にわからせようと伝えられなくてもいいんです。
また、その表現を受け取った人はそういう「感覚」がその人にはあるんだなと「認めて」
あげて下さい。言葉を鵜呑みにするのではありません。ただ「そう思ってるんだな。」と理解して下さい。
障害者は障害があってこの忙しい社会に適応するのが苦手で「難しい」だけです。適応「できない」わけではありません。
健常者は障害者を「不幸の素」というレッテルを貼って排除しないで下さい。障害者はそのレッテルを剥がして自分らしさを取り戻す努力をして下さい。
現「障害者」と言ってその生き証人として生きること。
これが私の生きる、使命だと思っています。
ゼルス
ロラン・セアックの劇中台詞「僕はムーンレイスなんですよー」から。
今、見ている途中なのですが人間を媒体にした伝言ゲームの難しさをひしひしと感じます。「平和解決するのにはどうしたらいいのか?」ひしひし感じられる作品です。
前回、「障害者であることを言い訳にしない」といった文章を書きました。
誤解を受けたかもしれませんが「言い訳にしない」のがミソであって、障害者自体は特別悪い事でも、弱い事でも、劣っていることでも、失敗していることでもありません。
ただ、ヒトが違うのです。でも、根本的には同じヒト、人間なのです。
言っていることが矛盾しているって?そうでもないと、僕はそう思います。
みなさん、「自分らしくありたい!」と思う反面、「人に分かってほしい!」って思ったことありませんか?例えば、
A「この曲好きなんだよねー。」
B「え、その曲のどこがいいの?」
A「だって、(これこれこうだから)でかっこいいじゃん!」
B「わっかんないなぁ・・・」
A「えー、だって(これこれこう)だから絶対いいんだよ!Bさんも絶対気に入るって!」
B「ふーん。(Aさんてよくわからない人だなぁ、付き合うのやめよう。)」
そう、この場合Aさんが好きという曲は、「Aさんの感性」で好きなだけで、Bさんにはわかりにくいものです。このわかりにくいというのがポイントで、Bさんは10年後に聞いたら好きになるかもしれません。まあ、一生をかけてもわからない可能性もありますが・・・・
そう、人間はわからないものには警戒するものです。というか、人間だけじゃなく、動物だってそうですね。だから自分の『中』の常識から外れた人は「わからない」と言って排除してしまうんです。
例の場合、Aさんは自分の「好き」という感性をBさんに押し付けています。これじゃ、Bさんも嫌になっちゃいますね。Aさんはこういう場合、「絶対」と言わないで「Bさんも聞いてみるといいよ。」位にとどめておく方が私は理想だと思います。
かと言いつつ、Bさんが「わからないから嫌」という感情をむき出しにしていいかというとそうじゃないと私は思います。「なるほど。Aさんはこういうのが好きなんだ。」と言って認めるのが私は理想だと思います。
障害者と健常者間にも言える事です。健常者の中では「できれば障害者とは関わりたくない。」と思っている人も少なくありません。
なぜでしょうか?
というのも、障害者というものがわからないからです。私の場合精神障害なので、これを例に出しますが、被害妄想だの、幻聴だのいってもそれは私の「感覚」であって他人にはわからないのです。現在では人は他人になる事はできませんので、その痛みや苦しみといった「感覚」はわからないのです。わかるとしても、似たような経験から推測するしかありません。
じゃあ、どうするか?
まずは、こういう「感覚」があるんだなと「自分で認める」ことです。「自分はあの人の事こう思ってるんだな。」「これは面白いなー。好きだなー」「なんかイライラしちゃったな。」と。そういう風に自分を客観視して下さい。
そして、その「感覚」を伝えたかったら表現して下さい。言葉だけじゃなくボディランゲージでもいいですし、写真でも絵でも動画でもはたまた数式でもかまいません。それが、全員に瞬時にわからせようと伝えられなくてもいいんです。
また、その表現を受け取った人はそういう「感覚」がその人にはあるんだなと「認めて」
あげて下さい。言葉を鵜呑みにするのではありません。ただ「そう思ってるんだな。」と理解して下さい。
障害者は障害があってこの忙しい社会に適応するのが苦手で「難しい」だけです。適応「できない」わけではありません。
健常者は障害者を「不幸の素」というレッテルを貼って排除しないで下さい。障害者はそのレッテルを剥がして自分らしさを取り戻す努力をして下さい。
現「障害者」と言ってその生き証人として生きること。
これが私の生きる、使命だと思っています。
ゼルス