左手を胸に当てて、愛していないと5回誓おうか。 -5ページ目

左手を胸に当てて、愛していないと5回誓おうか。

生放送を、始めた2012年の冬。

http://com.nicovideo.jp/community/co1504195

これを期に、

自分につきまとう小さな不幸について考え直していこうか。

小さい頃から両親が共働きだったので、

必然的にばあちゃんに面倒を見てもらうことが多かった。

自分で言うのもあれだがかなり可愛がられてたと思う。

小さい頃は、これまた自分でいうのもあれだがそれはそれは可愛かった。

だがしかし、年を取るにつれだんだん今のような生意気な顔に。

そして実の両親でさえ「小さい頃はどんなかわいい子になるかと思ったのに…」と嘆く中、

ばあちゃんだけは

「ぜくすは、本当にべっぴんやが。」と、

親戚が集まると「この子は化粧すると本当に女優みたいでねぇ」と

自慢して歩いてくれた。もちろん欲目である。

そんなばあちゃんも今年83になり、

今は認知症で施設で暮らしている。

去年の夏に一度体調を崩し入院、、24時間付き添いが必要、ということになり

さすがにおとんとおかんだけでは手が回らないのでばあちゃんの看病をしに行った。

去年は就活だなんだとばたばたしていたのでばあちゃんに会ったのは半年ぶりだった。

久しぶりに会ったばあちゃんは私のことを覚えていなかった(どうも、介護のお姉さんだと思っていたようだ)

息子の自慢話を聞かされたり(即ち私のおとんの自慢話である)、

私を目の前に「本当にべっぴんな孫がいてねぇ」という話を聞かされ複雑な気持ちになったが

ふとばあちゃんが

「でも、あんたもええ顔しとるな」と言うので

なんとなくほっこりした。

その後二週間に渡る入院生活の末、ばあちゃん無事完治(80代にしては驚異の回復力でお医者さんもびっくり)

退院する頃にはすっかりうちのことも認識してくれてまたほっこり。

その後は実家に帰るたびに施設にばあちゃんに会いに行ったり。

そんなばあちゃんがまた入院。

どうも、施設で骨折したらしく、しかも二ヶ月くらい気付かなかったらしい。

で、折れたところから栄養が漏れて?なんか異様なくらいやせ細っていた。

とりあえず今回もばあちゃんの看病。

もう自分でご飯を食べる、というのが困難なので、

とりあえずご飯を食べさせる。

どうでもいいが、うちのばあちゃんは元気だった頃

「砂糖かけりゃ下駄でも旨い」という名言を残したほど甘党である。

そんなばあちゃんの今日の夜ごはんは、デザートにプリンが付いていた。

試しに開けてない状態で

「これ、なんやろな?」

と見せてみると、(´・ω・)?となっていたので

蓋を開けてあげると

「ぷりんや!(*´∀`*)」となっていた笑

その後仕事の終わったおかんとおとんも駆けつけ、

何故か姉さんまで京都から駆けつけかなり賑やかな感じに。

さすがにこれだけ集まると、急に一人になるのは寂しかったのか

もう帰るよ、というと

「あかん…(´・ω・)」と言われたw

最終的に明日みかん持ってきてあげるから、ということで話は付いた。

そんなばあちゃんと過ごす今日この頃。

去年の秋くらいからばあちゃんは急に症状が進行して、

今はもう殆ど喋らない。

「おいしい?」とか、

「どこか悪くない?」

と聞くと反応はするが、自分から言葉を発することはもう滅多にない。

そんなばあちゃんに、おかんが私を指差して

「あれ、誰やった?」と聞くと、

ちゃんと「ぜくすや。」と答えてくれる。

後で聞いた話だが、私が愛知に行っている間

「ぜくすが泣いとる」「ぜくすを助けたらんと」

とずっとうわごとのように繰り返していたらしい。

それを聞いて胸が痛くなった。

そして寝たきりのばあちゃんを見るともっと胸が痛む。

折れた足はもう元には戻らないらしい。

折れてから時間が経ちすぎて、変な方向に固まっている、と。

どうして気付いてくれなかったんだと施設の人を責めたい気持ちになった。

忙しいのは分かる。

人手不足で、いちいち入居者ひとりひとりを見ていられないのも分かる。

家で見切れないからと丸投げしていた私たち家族にも責任はあるのだろうと。

でも、二ヶ月前のあの時

介護士さんが「どこか悪くないか?」と聞くといつも「どっこも悪ない。」と答えるばあちゃんが

「悪い。」って言ってたじゃないかと。

そして、ちょっとしてから

もしかしたらあれは私に訴えていたのかなと。

施設という他人だらけの中で気を使いながら、

唯一私にだけ助けを求めていたのかと。

今度はものすごく自分を責めたい衝動に駆られた。

人を大切にするということの難しさについて

しみじみ考える、

22の冬。