「しんどい」とか「死にたい」とかじゃなくて、
頭の奥の方で何かが弾け飛ぶ音がして
「あぁ、この状態がキチガイって言うのか」と、
ぼんやり思いながら、
最後に聞いたのは「只今回線が混み合っております、暫く時間を置いて…」という
いのちの電話のアナウンスだった気がする。
去年の5月から今年の年明けまで、
性的な嫌がらせを受けながらバイトをしていた。
最初は些細なことだったのかもしれない。
誕生日だから、とプレゼントをされたり、
「また時間があったら食事に行こうよ」という社交辞令程度の誘いだったり。
21才の大学生の私には
オーナーとしての従業員一人ひとりへの気遣いと、区別がつかなかった。
気がついたときにはもう遅かった。
山の中のラブホテルの前で「嫌なら歩いて帰れ」と言われた時に
全てを諦めた。
一瞬、当時好きだった人が頭の中に浮かんで、
後はもう真っ白だった。
早く終われ、と思いながら、
悲しくて涙も出なかった。
執拗に交際を迫られた。
メールを返さなければ怒られた。
機嫌を損ねれば、
他の従業員やお客さんに当り散らされた。
藁にもすがる思いで、他の従業員や店長に相談したこともあった。
返ってきた答えは
「なんともしてやれやんから…」
「お店の中の人間関係めちゃめちゃにしないでくれる?」
というものだった。
いつからだろう
「私さえ我慢すれば」
って思い始めたのは。
自分が我慢すれば全てが上手くいっているように思えた。
もう店長が蹴られることも、
お客さんが理不尽に怒られることもないんだろうって。
実際、上手くいっていたのかもしれない。
上手くいっていなかったのは私だ。
思うように笑えなくて、眠れなくて、
でも仕事だから笑わなくちゃって
病院にかかって、でも出される薬じゃ全然足らなくて
足らなくなれば海外から買い足した。
不安になればお腹を切った。
切る場所が無くなれば、足を切った。
逃げたかった。
でも「お店の中の人間関係をめちゃめちゃにして辞めるなんて勝手だ」
って言葉がどこまでも追いかけてきて
気が付いたら
家にあった薬全部かき集めて
焼酎で全部飲み干した自分がいた。
常識もモラルも飛び越えて、
そこに正義は無いことなんて百も承知で、
ただただ辛かった。
医学的な知識のある人なら言うだろう、
「そんなことをしても死ねないよ」と。
「自殺なんて、最低の行為だ」と言う人も少なくないだろう。
もちろんその通りであるのだが、
善悪の区別が付くくらい、病院で処方される薬じゃ死に至らないという判断が下せるくらい正常であったならば
きっとそんな真似はしていなかった。
一言で表すならば、
あの時の自分は頭がおかしかった。
目が覚めると、真っ赤な目の母がいた。
父と母は、その日の予定を全て放り出して私を迎えに来てくれた。
母は泣いた。父は激しく怒った。
「刺し違えてでもその男を殺しに行く」、と。
ずっと、誰も助けてくれないと思っていた。
私を罵るだけの従業員も、
全然繋がらない命の電話も、
「お薬を変えてみましょう」って言うだけの病院のセンセイも、
誰も助けてくれないと思っていた。
きっとあの時一言
「辛いよ」って両親に言っていれば
自分たちの全てを賭けて私を守ってくれただろうに
どうして気付かなかったのだろうと。
しばらく実家で療養した。
バイト先からは相変わらず
「店の人間関係をめちゃくちゃにして、自分だけ死んで終わりなんて勝手だ」
という言葉を頂いた。
言い分は分からなくもない。
でもその時私は
お店の平穏よりも家族の笑顔を守りたいと思った。
自分が本当に守りたい人は誰なのか、
自分が本当に守って欲しい人は誰なのか。
思えば私も間違っていたのだろう。
山の中から歩いて帰ってでも貞操を守るべきだったとか、
私が我慢すれば、という考え自体間違い、
というのも間違いなのだろうが
きっと最大の間違いは助けを求める場所を間違えていたことだと思う。
と、いうのが
私の受けた性的嫌がらせの大まかな流れである。
もちろん全部は書ききれないのでほんの一部であるが。
決して悲劇のヒロインぶりたいわけでも、不幸自慢したいわけでもない。
いろんな意見があると思う。
私が全面的に悪い、という意見もあるかもしれない。
でも、それでいいと思う。
「これが正義だ」と押し付けるつもりもない。
ただ、「正義ってなんだろう?」と考えることをしてくれると、
私はとても嬉しい。
個人的な意見ですが、
私は別に上司が部下に好意を持ったり、職場内で恋愛関係に発展してもいいのではないかと思う。
ただ、どうしても力関係は平等ではないのも事実。
だからこそ、
自分の一言の持つ「重さ」について考える必要があるのではないかと思う。
私とて、今ここに書いていることが正しいという自信は微塵もない。
反対意見を聞いて、考えが変わったということだって十二分に有り得ると思う。
大切なのは「考える」ということだと思うわけです。
そしてお互いが意見を交わし合えたら尚良いと思う。
どうでもいいですが、
現在この件に関しては提訴を考えている。
もちろん辛かった、というのもあるのですが
このままにしておくと、
新しいバイトの子が入ったときにまた同じ目に遭う可能性も充分有り得るので。
後で聞いた話ですが、どうもこのようなことは初めてではなかったようです。
もし新しく入った子が自殺でもしようものなら私は多分一生悔やまなければならない。
だから相手にも自分のしたことは正しかったのか、そうではなかったのか
考える機会を設けていただきたい
という意味の提訴です。
実はどこまでやるかはまだ迷っている。
正直、今でも思い出すと辛い。
こんな精神状態で裁判を乗り切れるとも思えない。
春からは新しい生活が始まる。
潔く忘れることに徹するのも一つの手段ではあると思う。
でも、今回のことで私自身もいろんなことを考えたし学んだので、
やれるところまでやってみたいと思う。
今回文字に直したのもそういうことがあったからこそ、というか。
本来自殺未遂等は恥じるべき行為であって、
あまり公の場に書く事ではないと思う。
でも、もしもこの記事を読んで、「言葉の重さ」や「性」、「職場での力関係」等について
なにか思ってくれれば、少しでも考えてもらえたら、
という想いを込めて書きました。
辛い経験ではありましたが、得るものも大きかったと思います。
特に「家族」については改めて考えさせられるものがありました。
人間って基本的に見返りを要求する生き物だと思います。
それは恋愛関係においても恐らく同じことが言えると思う、
「好きでいるから好きでいてくれ」と。
そんな中で唯一見返りを要求しない生き物が、家族。
実家で療養中、父に言われました。
「生きてると、辛いこともしんどいことも沢山あるね。
でも、その苦労はお前が健康だからこそ出来る苦労であって、
支えてくれる人たちがいるからこそ悩めるんじゃないかな。
どんな時であっても、自分の置かれた環境に感謝する、という気持ちを忘れないで欲しい。」
と。
私は大切な人を守ることも守られることも忘れて、
どこへ行こうとしていたのだろうと
酷く後悔した今日この頃。