昨年の11月27日に仮釈放で出所してから、およそ10か月。

今日で満期を迎えることになった。

あっという間の10カ月だった。

毎月二回の面接も終わり、約束した内容を守ってきた10カ月だった。

守るということは適切ではないかもしれない。

なぜなら、普通にしていれば結果として守っていることになったからだ。

 

もうこのしおりも必要ないが、気持ちが乱れそうになった時のお守りとして残しておくか。

それともきっぱりと破って捨てるか。

 

留置期間中に累犯の人間と3カ月ほど生活したが、彼らがよく言っていたのは、「受刑生活は1年目は早いけど、2年目からが長く感じる」とか「仮釈期間中は長く感じる」ということだった。

しかし、これは自分にとっては全く当てはまらなかった。

 

受刑生活2年目は音声翻訳科で1年間視覚障がい者の人の為に、テキストを音声データに変換したり、各種メディアに録音していたりした。

3年目は点字翻訳科でテキストを点字データへ変換する作業と並行して、盲導犬の子供パピーの育成をしていた。

その他パソコン関係が、エクセル、データベースのアクセス、フォトショップと3つ、販売士、建設機械と合計7つの職業訓練を渡り歩いたので、あっという間の4年半だった。

 

自分より多い職業訓練を受けた人は一人しか知らない。

点訳、音訳で一緒だった人だ。

彼もそろそろ出所のはず。

 

納税の義務という言葉は、逮捕までは全く意識していなかったし、何でこんなに税金を採るんだろうとしか思っていなかったが、この4年半で多額の税金が使われていることを知った今となっては、収められる人がきちんと納めるべきだという考えに変わった。

 

自分が生きやすい世の中、楽しく生きることができるようにするにはどうしたらいいか?

ということを考えたりしていたが、その答えも見つかった。

自分が働きやすく、生活しやすい、楽しく生きることができるようにしようとするには、ハンディを背負った人が生きやすい世の中にすればいいという答えを見つけた。

 

仕事でも元受刑者ということがバレることなくやってこれた。

昨年の12月に行ったボランティアではバレてしまったのだろう。

高いハードルを課せられ、参加することなく終わった。

 

今週の土曜日は、初めて視覚障がい者さんと歩き、走ることになる。

行動すればするほどバレる確率が高くなるが、ボランティアをすることは自分の中で決めたことだ。

 

自分の行動は自分で決める。

 

ほとんど迷うことのない自分ではあるが、このしおりを捨てるべきか、残しておくべきか、悩ましい問題だ。

メンタル的に見て、どちらが正しいのか答えが見つからない。