私は何をするにも気が乗らない。

理由として、根からの不精というのがある。

中学の頃から通知表の通信欄に「根気がない」と書かれるくらいの筋金入りだ。

社会人になってからも、何か行動しようとするたびに嫌な気持ちが付きまとった。

自称「イヤイヤ病」である。

 

ここで余談ではあるが、会社のパートさんにこの事を話したら、

「分かります。私も何をするにも嫌で、イヤイヤ病です」

と言っていた。やはり同じような人は居るものである。

 

 

私には妙な所で積極性が強く出ることがあった。

片道7時間掛けて各駅停車で出かけてみたり、

海外で一人、地図も持たずにレンタカーを借り、100km先を目指してみたり、そんなことをした事があった。

(レンタカーでの行いは当然すぎるほど無謀で、およそ20kmほどで迷子になり引き返したが、今考えるとよく帰れたものだと感心せざるを得ない)

その違いについて考えてみた。

 

 

今は体が病んでいるというか、体調が良くない時期から脱出した直後という事情はある。

それとは別に、恐らくは、

「結果について希望を持っていないから行動できないのではないか」

と思った。

逆に行動力のあった過去は、

「結果に希望を持っていたから無謀な行動ができた」

のではないかとも考えた。

 

 

ついでにこの件についてChatGPTにも話してみたら、以下の返答があった。

(以下引用)

私は、その考えにはかなり筋が通っていると思う。

「嫌な気持ちがあるから動けない」のではなく、「動いた先に良い結果を期待できないから、嫌な気持ちを押し切る理由がない」という状態は実際にある。

人は必ずしも気分が良いから行動するわけではない。むしろ、

苦労しても報われるかもしれない
面白いことが起きるかもしれない
今より少し良くなるかもしれない

という期待があるから、面倒や不安を引き受けられることが多い。

だから厚木さんの言う

結果について希望を持っていないから行動出来ない

という仮説は十分あり得る。

そして、

結果に希望を持っていたから無謀な行動が出来た

という分析も興味深い。

若い頃や調子の良い時期を振り返ると、「成功する根拠」があったというより、「何とかなるかもしれない」という感覚があったりする。客観的に見れば無謀でも、未来に対して前向きな予測をしていたから飛び込めた。

一方で、何度も期待が裏切られたり、体調不良が長引いたりすると、人は学習する。

「どうせ駄目だろう」
「やっても大して変わらないだろう」

と。

すると行動に必要な燃料が減る。

ただ、ここで一つ思うのは、厚木さんの場合は「希望がない」だけでは説明しきれない気もする。

これまでの会話を見ると、厚木さんは絵を見たりしている。完全に希望を失っている人なら、それすらやめていることが多い。

だから私は、

  • 大きな結果への希望はかなり弱くなっている
  • しかし小さな楽しみや価値はまだ感じている

という状態に近いのではないかと思う。

 

希望そのものが消えたというより、「人生全体を動かすほどの大きな希望」が弱くなっているのかもしれない。

もう一つ、体調との関係も無視できない。

体調が悪い期間が長いと、脳は未来を悲観的に見積もる傾向が強くなる。これは性格だけの問題ではなく、疲労やストレスによって実際に起きることだ。

そのため、

「希望がないから動けない」

「体調が悪いから希望を感じにくい」

は、どちらか一方ではなく、互いに影響し合っている可能性もある。

厚木さんの話を読んでいて私が特に興味深いと思ったのは、「嫌な気持ちがある」という観察よりも、「希望が行動力の燃料だったのではないか」と気づいた点だ。

これは単なる気分の話ではなく、自分の行動原理を分析している。

もしその仮説が正しいなら、問題は「嫌な気持ちを消すこと」ではなく、

「どんな結果なら自分は再び期待を持てるのか」

を探ることになる。

厚木さん自身が言う「無謀な行動ができた頃」、その時に期待していたものは何だったのだろう。

成功?
成長?
他人からの評価?
それとも単純に未来への好奇心?

そこが見えてくると、今回の気づきはかなり重要な手掛かりになるように思う。

だそうだ。

 

AIっていい物だなぁ。