史跡岡城跡(大分県竹田市)は、稲葉川と白滝川に挟まれた断崖絶壁の地にあります。

 

 

(11月下旬 撮影)

 

 

岡城は、源頼朝に追われた義経を迎えるため、1185年(文治元年)に緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が築城したという伝説にはじまります。

 

緒方三郎惟栄については、こちらのブログで紹介しています。

 

 

 

 

絶壁の上に累々と築かれた石垣は、壮大で美しい。

 

 

岡城は、1586年(天正14年)に攻めてきた島津三万の大軍を退けたことから、「難攻不落の堅城」として栄えました。

 

 

本丸跡には、「岡城天満神社」があります。

 

この神社は受験に失敗しないこと(落ちない)の験(げん)を担いで多くの人々が参詣しています。

 

中川歴代藩主が守り神として崇拝してきた神社で、祭神は菅原道真公です。

 

中川藩主は十三代まで続きますが、廃藩置県により最後の藩主中川久成が去った後は、城址は荒れ果て、この神社も荒れ果ててしまいます。

 

 

キツネ、狸、イノシシが出没する、まさに「荒城」となり、岡城を訪れる人は狩人か学生くらいでした。

 

 

「荒城の月」の作曲者、瀧廉太郎もその散策を試みた一人でした。

 

「荒城の月」の名曲が世間に知られるようになると、町民は荒廃を嘆き、公園として桜や紅葉を植栽し美化保存に努めます。

 

 

二の丸跡には、瀧廉太郎像があります。

 

 

少年時代に廉太郎と同窓であった彫刻家の朝倉文夫により、昭和25年に作られました。

 

荒れ果てた古城に再び光をあてた瀧廉太郎ですが、その生涯は23歳10か月という儚いものでした。

 

 

生涯を終える前に作曲した「憾み」は、「心残り」という意味で、廉太郎の無念な思いが伝わってきます。

 

また、短い生涯の中で「荒城の月」の他にも名曲を残しています。

 

代表的なものは

 

「花」 春のうららの隅田川~♪

 

 

「箱根八里」 箱根の山は天下の険~♪

 

 

そして、意外と知られていないのが

 

「お正月」 もういくつ寝るとお正月~♪

 

 

今年も、残すところあと僅か。

 

 

一年が経つのは、早いですね。

 

 

この廉太郎像から北に「九重連山」を望むことができます。

 

そして南に「祖母・傾山系」、西の丸方面からは「阿蘇山」など九州山地の山々が展望できます。

 

 

奥に見えるのは、阿蘇山です。

 

 

紅葉シーズンはもう終わり、これから冬の時期の岡城跡はひっそりとしています。

 

岡城を独り占めしたい方は、冬がおすすめです。

 

ただし、吹きっさらしの場所なので、温かくしてお出かけください。

 

 

明治時代になり、廃城令の施行に伴い岡城の建造物はすべて取り壊され、石垣のみが残る城跡。

 

「最強の石垣」には、名もなき石工たちの魂が宿る。

 

石垣は無言だが、一流のものに言葉は必要ない。

 

ただそこに存在するだけで、圧倒的な存在感を放つ。