9.11の首謀者の真実。 | ウソのような曖昧な話。

ウソのような曖昧な話。

世の中のウソのような曖昧な話を
書いていきます。

都市伝説、陰謀説、UFO、UMA、宇宙人、
レプティリアン、フリーメイソン、イルミナティ、
など(笑)


あの忌まわしい事件がおきてから、






今日で11年と20日目です。








皆様もご存じのとおり


『アメリカ同時多発テロ事件』ですあせる








死者は2,993人(19人のテロリストを含む)。


負傷者は6,291人以上。


行方不明者2424人(遺体が確認されていない)。




この事件により、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。




容疑者はイスラム過激化組織アル・カーイダとされた。




そのなかでも精神的指導者とされる、


ウサマ・ビン・ラディンが首謀者とされた。






そもそもビン・ラディンとは何者か?








GORI-NISAN







1957年3月10日(説)にラディン一族に生まれる。




ラディン一族とは、




ウサーマ・ビン・ラーディンの父のムハンマド・ビン・ラーディンは、




イエメンのハドラマウト地方の貧困家庭の出身で、




第一次世界大戦前に家族と共に、イエメンからサウジアラビアのジッタに移住し、




1930年に荷夫から身を興しサウジアラビアのジッタで建設業を起業した。




ファイサル国王の目にとまり王室御用達の建設業者となり




事業は急成長を遂げ財閥「サウジ・ビン・ラーディン・グループ(SBG)」を




柱とするラーディン一族を形成した。




一族の巨額な財産分与が様々な方面に流出した結果、




そのいくつかがイスラム教原理主義テロ組織の資金源になっているとされる。




グループは石油ブーム時代に建築業で財を成し、




アルカイダは1978年、ソ連のアフガン侵攻対抗を目的に




米CIAが支援し育て上げた組織だ。




つまり、少なくとも結成時点で両者は密接なつながりを持っていた。




これはなにも特別な情報や私が勝手に流すデマではなく、




wikipediaにも載っているありふれた情報である。


そして、ビンラディンの一族は、




ブッシュ一族とビジネス上のパートナーなのである。




これは世界周知の事実であり、




昨年5月にはイランのアフマデネジャド大統領は




米国ABCテレビのインタビューに答え、




「ブッシュ大統領とビンラディンは石油ビジネスで手を組んでいた」




と指摘しているが、米政府は反論していない。














実はビンラディンは、CIAの工作員だった!?




GORI-NISAN



オバマ政権の外交政策最高顧問ブレジンスキーとビンラディン。 1979年撮影






GORI-NISAN



ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー、


アメリカ在住の政治学者。カーター政権時の


国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたことで知られる。




さらに彼は、外交問題評議会(CFR)メンバー。ビルダーバーガー。


(日米欧)三極委員会の創設・


民主党のアドバイザー・ハト派の多い民主党の中では異色のタカ派


、戦略国際問題研究所(CSIS)顧問。


ヘンリー・キッシンジャー(共和党系)との交流者。


オバマ政権の事実上の最高顧問。




名立たる肩書のある人間と




のちに9.11事件の首謀者とされるビンラディンとの


ツーショット写真がなぜあるのか?


その理由はビンラディンがCIAの工作員だったからである。




ビン・ラディンCIA工作員のコードネームは"ティム・オスマン"




ビン・ラディンは9.11事件前の2001年7月に




中東ドバイのアメリカン病院に2001年7月4日から11日まで、




腎臓の病気を治療するため入院し、




入院中にアメリカCIA要員やサウジ高官などが面会に訪れていたという。







周知の話ではビン・ラディンは何年も前から、




対米テロの首謀者としてCIAをはじめとする




米当局が行方を追っていた。




そのCIAが、ビン・ラディンに接触したのに逮捕もせず、




退院後そのままアフガニスタンに帰してした。




なぜ?逮捕しなかったのであろうか…






それはビン・ラディンがCIAの工作員だったからである。











そして2011年5月2日(米国東部夏時間5月1日)、


パキスタンにおいてアメリカ軍によりウサーマ・ビン・ラディンの殺害。










GORI-NISAN



…とアメリカ政府は発表したが…














ビン・ラディンはとうの昔に死んでいたのです。




ビン・ラディン死亡の正式な日は2001年12月26日としています。




しかもその場所はミネソタ州 の米CIA病院だったそうです。








どういうことかと言いますと、アメリカ政府は9.11の首謀者であるビン・ラデインを




自分たちの手で殺害することで国民に向けての大義名分を果たしたかったのです。








しかし実際には、2001年の12月26日にビン・ラデインは死んでしまいました。




ですのでアメリカ政府はアフガニスタンとパキスタンの国境山岳地帯に


潜伏している。という事にし、


2011年5月2日にパキスタンのアボッターバードで米軍によって射殺された。と発表されました。




もし仮にビン・ラディンが生きていて本当に見つけたとしたならば、




なぜあれほどの事件を起こした首謀者を尋問もかけずにその場で射殺したのであろうか!?






公表された写真についても、おかしな点がある。






GORI-NISAN



公表された写真が一番右。




見てわかる通り左と真ん中の合成写真であるショック!




すこしでもフォトショップなど触った事のある人であれば




安易にこの程度の合成写真は作れることがわかる。






普通は影武者を使って死体を用意するのですが、




ビン・ラディンは身長194cmとでかかった為、影武者を用意するのが困難だったと思われる。




ビンラディンの遺体は、北アラビア海で展開する




アメリカ軍の空母「カール・ビンソン」から海に沈められた。




理由は、24時間以内に埋葬(イスラム教の慣習)を引き受ける国がなかったため。…と。






皆様、どう思いますはてなマーク(笑)






本当にアメリカという国は捏造が大好きな国であるニコニコ










おしまい。



9・11テロの超不都合な真実―闇の世界金融が仕組んだ世紀の大犯罪 (5次元文庫)/徳間書店

¥760
Amazon.co.jp