万物は流転する(みすず書房):ワシーリー・グロスマン | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第51回:『万物は流転する』

万物は流転する/みすず書房

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このブログでは、1年ほど前からロシア語作家の作品を順次紹介していますが、ツルゲーネフの『処女地』を紹介したときに、その後に紹介する予定のロシア語作家をリストアップしました。そのリストに挙げられた作家の作品を概ね作者の生誕年順に長々と紹介してきましたが、ようやく残すところ後3人というところまで辿り付きました。

ラストスパートと行きたいところですが、世の中、そんなに簡単には進みません。先ず、実生活の引っ越し。しばらくネットに繋がらなくなりますし、生活リズムも変化することが予想されるので、ブログの更新は一旦停止します。個人的にはGWくらいに再開できればいいなぁと思っています。

まあ、それはともかく、もっと重要なことは、「本を読めば読むほど、読みたい本が増えてくる」という逆説的な定理です。

この世に本が星の数ほどあるといっても、たかだか有限なので、読めば読むほど、読みたい本は減るのが道理。ですが、実際にはそうはなりません。本は本を呼びます。本を読めば読むほど、自分がいかに本を読んでいないか、いかに無知であったかを知るのです。

まあ、要するに、予定になかった作家の作品も読みたくなってしまったということですけど。ということで、今回は予定にはなかったワシーリー・グロスマン(1905-1964)の『万物は流転する』を紹介します。

ウクライナでユダヤ人の両親の下で生まれたグロスマンは、第二次世界大戦が始まると、体制側のジャーナリストとして活躍しましたが、スターリンのユダヤ人迫害などを機に転向し、共産主義体制批判の小説『人生と運命』を執筆します。『人生と運命』は当然のように発禁。スターリンが亡くなった後の出版の自由が比較的認められた「雪解けの時代」ですら、出版は許可されませんでした。

『人生と運命』は、一昨年にみすず書房から翻訳出版されましたが、全3冊、各巻が500頁を超えるという大著ぶりに購入を躊躇していると、去年、『万物は流転する』が出版。こちらは、全1冊で300頁程度という手頃な長さなので、こちらを読むことにした次第であります。

『万物は流転する』は『人生と運命』と並行して執筆され、1963年に完成した長編小説。

主人公のイワンは、若者だった時、反体制的な言動により逮捕され、ラーゲリ(収容所)に送られた。それから29年後、スターリンの死亡により「雪解けの時代」が始まると、イワンは釈放された。

イワンの従兄弟であるニコライは、イワン釈放の電報を受け取ると、イワンがラーゲリで暮らしていた期間の自分の行動を思い出す。ニコライは、何かと自分に言い訳をしていたが、結局のところ体制順応主義者であり、イワンを帰還を喜びはするものの、一方でイワンが自分の下にやってくることのデメリットに悩まされる。

イワンとニコライの再会はどこかぎこちないまま終わり、イワンは別の場所で残された人生を送ろうとするのだが、ラーゲリのことが重くのしかかる。

というストーリーなのですが、中盤辺りからラーゲリでのエピソードが比重を占め、全体を通したストーリーは消えていきます。そして最後の方は、レーニンとスターリンを中心にロシアの歴史と運命に関する哲学的な考察が長く語られるなど、「物語」を期待すると、肩すかしを食らいます。

個人的には最近ロシア文学を中心に読書をしていますので、それに関連して全体主義による自由の剥奪などについても考えることが多いので、非常に興味深い話でしたけど、一般受けは難しいかもしれません。

とはいえ、自由の問題などは現代日本においても非常に重要ですし、示唆に富んだ内容だと思いますので、気後れせずに読んでみてください。

上にも書いたとおり、引っ越しのためにしばらく更新が止まります。コメントの返事も遅くなってしまうと思いますが、ツイッターの方はスマホでチェックする予定ですので、何かあったらツイッターの方が早いと思います。

それではまた。