金色夜叉(岩波文庫):尾崎紅葉 | 夜の旅と朝の夢

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この暑いさなか熱海の温泉に入ってきました。熱海といえば、尾崎紅葉(1868‐1903)の新聞連載小説『金色夜叉』の舞台とされる「お宮の松」と、その脇に建つ「貫一お宮の像」なわけですが、恥ずかしながら『金色夜叉』を読んだことがなかったので、旅行前に慌てて読んでみました。

ちなみに私が読んだのは岩波文庫版で、上下巻に分かれていますが、上には上巻だけ貼っておきます。

さて、読んだばかりで偉そうなことは言えませんが、『金色夜叉』は今ではあまり読まれていない気がします。未完というのも少しは影響しているかもしれませんが、なんといっても、擬古文を駆使した文章そのものが原因でしょう。その華麗で雅な文体は評価が高い一方で、現代を生きる多くの人にとって難しいものです。例えば、冒頭からこんな感じです。

「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(まっすぐ)に長く東より西に横たはる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂しくも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁き車輪(くるま)の輾(きしみ)は、或は忙しかりし、或いは飲過ぎし年賀の帰来(かえり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓の遠響(とおひびき)は、はや今日に尽きぬ三箇日を惜しむが如く、その哀切(あわれさ)に小さき腸(はらわた)は断たれぬべし。(上巻p5)」

この冒頭は挫折するのに十分な理由を与えてくれます(笑)。とはいえ、会話の部分は比較的容易ですし、地の文章も冒頭の二ページくらいまでが最も難しいと思いますので、最初の方さえ熟読すれば、その後は慣れてきて、意外にスラスラ読めます。

で、読めてくるとこの文体は病みつきになります。言い回しや表現が物凄く大袈裟でかっこいいのです。大袈裟というと否定的な感じを与えかねませんが、歌舞伎を思い出してください。カタカタカタと音声で盛り上げて最後に見得(みえ)と呼ばれるポーズを決める大袈裟な演技。それが歌舞伎のかっこよさ。『金色夜叉』もそんな伝統芸能的なかっこよさがあるんです。

例えば、お宮と貫一が別れた後に、二人がある家の庭ですれ違うシーンがあるのですが、お宮のことをまだ忘れられない貫一の動揺はこのように描かれています。

「脚は打顫(うちふる)い打顫い、胸は今にも裂けぬべく轟くを、覚られじとすればなお打顫い、なお轟きて、貫一が面影の目に沁むばかり見ゆる外は、生きたりとも死にたりとも自ら分からぬ心地してき。(上巻p163)」

「脚は打顫い打顫い」なんて態々繰り返し、その後、「なお打顫い」と計3回。普通、同じ単語を繰り返して使うと文章が幼く見えたりするものですが、このシーンではそんな感じは微塵もありません。計算し尽くされた文体の妙がここにはあります。

ストーリーについては省略しましょう。ストーリーよりも文体が魅力的な作品ですからね。話の展開は、本当らしさのない偶然が重なる前近代的なもので、それ故にエンターテイメント性にも優れているとだけ言っておきます。

まあ、纏めれば、兎にも角にも面白い小説ですよ。やはり名作と呼ばれるものは読んでおかねばなりませんね。おススメ。

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