一部の人にとってゲームは余暇にするものではなく、アルコール依存症やギャンブル依存症と同じく、自分の意思で止めることが困難な疾病になっているのだ。
依存症に陥る最大の要因は、脳内で分泌される快楽物質にあるという。
すごいコンボが決まった瞬間に、ジュワアアっとドーパミンなんかの汁が頭蓋骨内に溢れ出るようなイメージだろうか。
脳ってすごいというか、人間ってすごいというか、底知れぬものを感じてしまった。
4月、
コロナ自粛の影響で唯一の楽しみだった囲碁教室が休止となり、ゴロゴロとうたた寝を繰り返している父にipadのアプリ「みんなの囲碁」を勧めてみたところ、こちらが想像していた以上にどっぷりとのめり込んでしまった。
それまで欠かしたことのないNHKニュースも観なくなり、新聞も読まなくなった。
ある日曜日などは、朝7時から夜中の11時まで実に16時間もひたすら画面と向かい合っているのである。
これが依存症でなくて何が依存症なのだろう。
COM対戦なのに毎回違う手で返してきて、飽きることがないとのこと。
79歳の老人に今さら「やりすぎ注意」なんて言う気は毛頭無いが、
「こんないいゲーム機を何故今まで隠していた?」
と言って肌身離さず持ち歩いている父の姿を見た時、オレはこのiPadが自分の物では無くなったことを確信した。
後悔先に立たずとはこのことである。
他にfire10HDやfire7などのタブレット端末を所有しているにも関わらず、どうしてメインで使っていたipad airを渡してしまったのか。
Amazonタブレットは確かにコスパ優秀な端末だが、正直言ってAndroidベースのfireOSは使いづらいし用途も限られる。
APK(Android用実行ファイル)をインストールしてGooglePlayを使えるようにもしていても、読み込み時間の長さや液晶画面の粗さの方に意識が向いてしまうのだ。
タブレットPCは現在の生活において使用頻度の高い必須ツールなので、早晩ipad airの追加購入を検討することになるだろう。
恐るべし。ゲーム依存症。
夜、思いがけない小包が届く。
しかも「ありがとうのお話」という手紙付き。
お話と言いつつ1文字も書いてないけど、これが1週間遅れの父の日の贈り物だということは想像に難くない。
それにしてもカップ麺を作ることすら面倒くさがっていた次男がケーキを手作りするなんて、一緒に暮らしていた頃は夢にも思わなかった。
もしかしてお菓子作りが趣味の彼女でも出来たのか?とも考えたがそうでもないらしい。
ほどなく送られてきた次男からのLINEには、
「父上、感謝。」
と素直な言葉が綴られていた。
確認したところ、同じ科の男子学生5人で学校の調理室を借り、試行錯誤しながら焼いたものをそれぞれの実家へ送ったとのこと。
仕掛け絵本風の絵手紙も画用紙を切り貼りして自分たちで作ったそうだ。
おかげでほのかに甘いシフォンケーキをしょっぱく感じてしまった。
古い保育の格言に、
「手は離しても目は離すな」
という言葉があるが、手も目も離した子どもは大きく成長するということなのか。
息子よ。
生涯忘れることのできないプレゼントをどうもありがとう。

