論理療法の理論と実際 国分康孝 p103
“より突っ込んで言えば、「むかつく」「きれた」とくくることによって、自分自身のなかに生じる感情に向き合うことを拒否しているようにも思える”
自分らしく生きるためにはどうすればいいかについて。
まず、自分自身の感情を大切にすることを著者は述べています。
最近の子どもたちは「むかつく」「きれた」という言葉を使って自分の気持ちを表現している。たとえば、友だちから遊びに誘われなかった場合でも、「むかつく」であり、先生から校則違反を注意された場合でも「むかつく」であり、授業の内容が分からない場合でも「むかつく」である。本当はもっと微妙でさまざまな感情の動きがあるはずなのに、ひとくくりに「むかつく」「きれた」と表現している。
友だちから遊びに誘われなかった場合など、「さびしい」と言ってしまえば、その感情を自分で抱えなくてはならなくなってしまう。「むかつく」と表現することによって、さびしさを感じないようにしているようにも思われる。「むかつく」ではなく「さびしい」と気づくことがまず第一歩である。
自分の感情の動きに気づいた後には、その感情を大切にし味わうことである。それが自分のオリジナルな感じ方となる。
それを「むかつく」として反発してしまうのは、自分の感じ方を大切にしているとは言えないし、自分らしさを否定することになる。
自分のオリジナルな感じ方を大切にすることが、自分らしく生きることに繋がる。
ということです。
私は、男ばかりの三男坊の末っ子として育ち、家族には「男らしさ」を求められて育ちました。そのため、泣きたくなるような場面でも泣けなかったし、痛いと感じても平気なふりをしなければならなかったし、母親に甘えたくてもそれを表面に出すことは許されませんでした。
「むかつく」という言葉も私にとっては都合のいい言葉です。攻撃的な姿勢が「男らしさ」に繋がるからです。なよなよ、めそめそするよりかは、「むかつく」と攻撃的な態度を示すことの方が私には求められていました。
自分を無視し続けて私は育ってきたということになりそうです。
そんな私に「自分らしさ」なんてものがあるわけがありません。
私の人生がイマイチ煮え切らない原因が少し分かったので付箋を貼りました。