修行僧は、禅を組んで脳内を無にする際、
1つの禅問答を、頭の中で繰り返し、思考すると言われる。
誰もいない山の中、1本の巨大な木が倒れている。
この巨木が倒れた時、音がしたのか、否か。
普通に考えれば、音がしていないはずは無い。
しかし、この山には誰もいなかった。
という事は、音がしている確証も、実のところ、無い。
音がした時の仮説、しない時の仮説、
共に仮説を立てるまでは可能ではあるが、
どちらも確認のしようが無い。よって、答が無い。
答が無い事を、永遠にどちらかと考えるうち、
何も考えていない、無の境地に達すると言われる。
今、ルーミアの周囲の闇には、
このような哲学的な現象が起きている。
パチュリーが咲夜に説明した通り、
全ての事象は光の速さを基準に定義付けられている。
そして、実際に起こった現象は常に真実である。
では、現在ルーミアが発生させている闇はどうか。
光が遮断されただけの闇であれば、
その空間を、その時に光が通っていないだけであって、
光の進路を変えれば、無理矢理に光を通す事は出来る。
つまり、そこに闇の空間があった、と証明できる。
しかし、光が失くなるという事は、
全てを確認する尺度が失くなるという事。
とは言え、現実として目の前の光が失われている。
つまり、ルーミアの広げている闇の空間は、
闇の空間であるか否かすら、定かではない。
レミリアのナイフがルーミアに届いていないのが、
それを証明するための、何よりの証拠だ。
ナイフは闇を突きぬけ、ルーミアの背後にも見えている。
しかし、ルーミアは避けていないのに、被弾しない。
何故か。理由を解き明かす基準自体が、そこに無い。
現実と非現実の確率があやふやになっている、とも言える。
この空間に飲み込まれれば、自分自身が存在するか否か、
誰にも解らなくなってしまう、という事だ。
考え方次第では、死より更に恐ろしい現象が起きる事になる。