コロナウイルスの流行が収まってきた2022年。
2020年に帰省する予定でいたのに、コロナウイルス流行で泣く泣くキャンセルしてから約3年振りに帰省出来ることになり。
約3ヶ月、両親が同居する弟宅に滞在しました。
この3ヶ月と言うのは、夫が「コロナで3年帰省出来なかったのだから長期滞在しておいで。」と送り出してくれたのです。
コロナが流行する前年から、父が前立腺がんの治療を始めて。
そしてコロナ流行の最中、夫の父が亡くなりました。
夫は自身が病気の父を置いてテキサスを離れた事を後悔しているようでした。
この帰省する前に、私の両親が80歳を過ぎて残りの人生が少ないから、そのまま日本に留まるか?と言われていたのです。
この時私の両親は、「まだ大丈夫だ。」と言っていて。
私はアメリカに戻りました。
そして昨年、11月中頃から約3ヶ月日本へ帰省しました。
本当は12月末から2月初旬の1ヶ月チョイで良かったのですが、12月は航空券がとても高いと言うので仕方なしに11月から帰省しました。
前年と同じように日本に留まるか?と再度聞かれ、この時も私はアメリカに戻るつもりでした。
2014年に年末年始を両親と過ごしたのが最後で。
もしかしたら、今回年末年始を一緒に過ごさないと、両親とは過ごせないかもという思いから多少無理に3ヶ月帰省させてもらいました。
1月は母の83歳の誕生日、2月は父の82歳の誕生日、両親の誕生日を一緒に過ごしたいと思っていました。
そしてこの帰省からアメリカに戻って1週間後にアリゾナ州からオクラホマ州に引っ越したのです。
私はこのオクラホマの家が気に入りませんでしたが、彼はここを最後の住処にする!と、とても気に入っていました。
でも引っ越して来てこの家を実際に見たら、リノベーションされているのに寝室のバスルームのドアが閉まらないとか、
そのドアの上の両サイドに大きな亀裂が入っていたり。
ここ1ヶ月程の間には、電気の配線がおかしいのか寝室のテレビやシーリングファン、キャンドルのライトが勝手に消えたりしていました。
兎に角この家は良くないと言うことです。
2月中頃に引っ越して、5月頃にはまた「引っ越す!」と言い始めたのです。
で、何処に引っ越すか?
私とネットで知り合った当時、住んでいたネバダ州のリノに引っ越すか?となっていたのです。
でもここで1つ、私が英語を話せない事が引っかかる彼。
引っ越したら働くか?と何度も聞かれ、言われて。
私は働く事が嫌いではないですよ。
ただ、やはり英語が話せないから。
でも何とか就職は出来るはず、と思っていました。
実は、ここオクラホマに引っ越してウィンスターと言う大きなカジノホテルで採用されたのです。
面接をしてくれたマネージャーのメキシコ人女性がとても感じの良い人で、私が質問への答えに詰まると携帯電話を取り出し日本語に翻訳してくれたのです。
こんな事はアメリカで幾つも面接を受けたけど初めてでした。
そしてその場で採用が決まったのです。
研修が始まり1日目はビデオを見ての研修、2日目は現場を回っての研修。
彼が片道約20分を送迎してくれ(仕事に慣れたら私が自分で運転して行く)ていました。
現場を回っての研修で、聴き取れる事もあれば聴き取れないこともあり(聴き取れないが多いかな)。
でもテキサスでハウスキーパーの職についていたので、仕事の流れとしては分かっていました。
ただ、分からないことがあるか?と聞かれて、分からない事があるのにそれを聞く術が無い。
ササッと携帯電話で翻訳して質問出来ればいいのですが、入力に時間がかかるしそれが出来ず…
そしてこのウィンスターカジノホテル、大きすぎたのです。
ホテルが四棟、、、研修中に迷子になるのでは?と心配したほどです。
色々な事がストレスになり、胃の痛みが2日間1日中続いてしまいました。
でも、私から仕事を辞めるとは言いませんでした。
結局はウィンスターでの仕事を辞めてしまったのですが。
「仕事辞めていいんだよ。」と言ってきたのは夫。
あ、ウィンスターを辞めた後に他の仕事の面接を受けれる事になっていたのに、やっぱり受けなくていいと断ったのは彼です。
と、オクラホマに引っ越してからのかい摘んだ出来事。
そして、タイトルの『それぞれの道へ』。
7月に入ってからだったかな、
彼が「やっぱり君は日本に戻るべきだ。君は君の両親をサポートしてあげないと。」って。
「君は英語が話せないし、自分に何かあった時君は一人で生きていけないだろ、それにもし僕が病気になり運転が出来なくなった時、君は運転出来ないし、病院に行って僕の代わりに対処出来ないだろ」って。
車の運転は出来ますよ、ただ初めての場所は緊張しますけど。
日本で就職して両親を助けてあげてと。
今回はそう決めたという意志を感じました。
今回は私もアメリカに留まると言えませんでした。
7月始め頃に私を日本に戻らせると言い出した時、私は離婚するのかな?と思っていました。
でも、そんな事は全く言っていなかったのです。
別居婚って上手くいかないのでは?と思っていましたが(彼の性格)、彼が何も言わないので別居婚なんだろうなと。
毎日毎日、「君が恋しくなる、、、」と言っていました。
だから別居婚なのかと。
それが、、、
7月16日、午前3時半過ぎ頃。
リビングで寝ていたら彼がリビングに来て置いてるコピー機を作動してる気配、それで目が覚めました。
あ、アリゾナでミルキーをアダプトしてから先住猫のななとオリーブと合わないので、私はリビングに簡易ベッドを置きななとオリーブと寝ていました。
「何してるの?」と聞くと、
「離婚の為の用紙をコピーしてる。」と。
エッ!?
そうなの?
「弁護士に頼むと高く付くから自分で書類を作成する。」って。
彼が離婚すると決めているのに何か言えますか?
私はただ黙って彼が動いているのを見ている事しか出来ませんでした。
結局自分でコピーする事は出来なかったようで、翌日何処かにお金払って送ってもらうようにしていました。
それから数日後、離婚の為の用紙が送られてきて裁判所に行きスタンプ押してもらって、翌月の今日、8月29日に彼が一人で最終の手続きする為に裁判所に行きました。
私は、私も行くと思ってたので、彼がスーツで行くと聞き、私は普段着でいいの?と聞きました。
そうしたら彼は一人で行くから君は家に居てと。
2人で最後の手続き行くと聞いてたような、、、
勘違いしてたのかな。
まぁ結局は私のことを色々考えるのが嫌になったんだろうなって。
ま、なので今日離婚しました。
でも、今日迄の間に色々あったんですよ…