魂の発達に最も役立つと思われる両親が決まった魂は霊界のある場所で待機することになる。そのうちにその両親が和合し、精子と卵子が合体するとそこから一つの波動が生じ、それが待機している魂に結びつく。しかし魂は、精子と卵子の合体と同時に母親の胎内に入り込むわけではなく、妊娠二~三ヶ月まではまだ霊界にいる。その間、受精卵は細胞分裂をくり返し段々成長していく。そして妊娠二~三ヶ月くらいのころになってようやく魂は母親の体内に入るようになる。

ただ一挙に入り込んでそのまま居座るわけではなく、当初の間は、入ったり出たりする。すると、人はみなそれぞれに独特の波調とでもいうべきものを有しているために、子の波長と母親の波長が合わない場合がある。この場合は子の魂が入ったり出たりしている間に調整が行われる。このときに出てくるのがつわりと言われるものなのである。

 

つわりは、波長の異なる魂が母親の体内に入ったり体内から出たりするために母親の波長が乱れることによって起きる母親の体調の変化である。しかし妊娠五~六ヶ月になると、魂は母親の肉体の中に納って外に出なくなり、また調整も終了するので、つわりは治まりいわゆる安定期に入る。そして約十月十日目にこの世に生まれ出るということになるのである。ところが一旦は勇気をもって再生の決意をしたものの、実際の段階に入ると、やはり尻込みをする者が出てくる。死産や流産の多くは、このような場合である。また生きて生まれてきても、自分でその肉体と環境を選んだにもかかわらず、そのことを忘れるために、人生の途中で、このような人生は嫌だ、このような辛い人生は到底耐え難いなどと言い出す者がいる。自殺のほとんどはこのような場合なのである。

 

自殺者は、死ねば一切が無になり、嫌なことや辛いことがなくなると考えて決行するのであるが、死によって失うのは肉体だけで精神はそのまま残るので、やがて精神活動が再開し意識を取り戻す。ところが悲しいことに彼(彼女)は、死ねば意識もなくなると思っているので、意識があることに気付くと、まだ自分は死んでいない、きっと自殺に失敗したのだと考えて再び自殺を決行するのである。しかし何回決行しても、彼(彼女)の思う死には至らないので、そのうちに諦めてやめる。ところが精神活動は自殺前と変わりなくできるので、今度は、自殺前に有していた苦痛や悩みを思い出し、結局自殺前と同じ苦しみを味わうことになるのである。病苦に耐えかねて自殺した者が肉体もないのに苦しんでいる例がしばしば報告されるが、これは上に述べたような理由で起きるのである。このように自殺によって苦痛や悩みが消えることは決してない。苦痛や悩みは自らの努力によってのみ消えるのである。

 

そもそも、我々がこの世(物質界)に生まれ出てきたのは、この世(物質界)でしか学べない課目を修めるためなのであるから、天命を待たずにこれを放棄することは、せっかくのチャンスを棒に振ることであり、まことにもったいないことである。また、我々が物質界に出生したもう一つの意義は、今回の物質界生活において自らが義務として設定した課目を修めるためでもあるから、これを途中で放棄しても、放棄した時点(つまり自殺時)から天命終了時までの間に学ぶべきものであった課目はそのまま残される。そしてこの残った課目は、自殺したからといって免除されることはないため、この分は次の人生で履修しなければならないが、そうするとその分だけ魂の進歩が遅れるということになるのである。以上に述べた点から、自殺は全く無意味な行為であると心霊学では言うのである。

 

物質界は不自由であり苦難も多いが、物質界でしか味わえない快楽もある。飲食、性などの肉体に伴う快楽がそれである。物質界にいる限りは、このような肉体的物質的快楽を享受することは、一つの趣であり決して悪いことではない。物質界で生活する目的は魂の勉強のためであるが勉強ばかりでは堅苦しくて飽きがくるので、息抜きとして物質的快楽が用意されているのである。そしてこの物質的肉体的快楽は、物質界でしか味わえないのである。このような貴重な楽しみを放棄するというのは、まことにもったいないことである。とはいうものの目的は勉強なのであるから、物質的肉体的快楽にうつつを抜かしてはいけない。勉強しないで遊んでばかりいると留年するのと同じように、魂の勉強をしないで物質的肉体的快楽ばかりを追っていると、魂の発達が遅れ、同級生から取り残されることになるのである。

 

物質界での生活を例えで言うと、重い潜水服を着て深海を潜っているような、または重い宇宙服を着けて宇宙旅行をしているようなものである。身動きは不自由になり、辛いことや苦しいこともあるが、大きな楽しみもある。折角そのような貴重な体験を得る機会に恵まれたのに、これを途中で放棄するというのは、まことにもったいないことである。物質界での生活は魂に飛躍的な進歩をもたらすために、数多くの魂が再生を望んでいるが、望みさえすれば誰でも直ちに再生できるわけではない。その中で白羽の矢がたったのであるから、辛くとも苦しくとも人生を全うする義務と責任があるのである。大体において。何の苦しみも悩みもない人生なんてものは、魂の進歩にとってほとんど意味がない。悲しい目に遇って泣き、楽しいことに出合って笑い、不正義を見て怒り、愛を感じて喜び、苦しみや悩みの中でもがくからこそ、魂は鍛えられ、飛躍的に進歩していくのである。そしてそのような苦しいけれども実り多い人生をあなたは望み、選んだのである。

 

 

人間は肉体(A体)、B体、C体、D体を有し、物質界(この世)B界、C界、D界に同時に存在しているのであるが、通常の人々はこのことが分らず、人間には肉体しかなく、また世界は物質界(この世)しかないと思っている。どうしてそのような認識になるのかというと、それは意識の中心が肉体と物質界(この世)にあるとともに、他の体、他の界層に対する意識が眠っている(発達していない)からである。

通常の人々、つまりまだ発達途上にある人々は、意識が十分に発達していないために一番外側の体と界層しか認識することができない。このために肉体及び肉体脳を真の自分と思い込み、かつ物質界だけが唯一の世界であると思うのである。

 

 

ところが死んで肉体がなくなり物質界を去ると、今度はB体、B界層が一番外側の体、界層となるため、B体、B界層に意識の中心が移らざるをえなくなる。そうなると、いやおうなくB界層を認識せざるをえなくなり、ここで初めて物質界(この世)以外の世界が存在することを知るのである。魂が発達している人は、意識が発達し拡大しているので、物質界にあっても他の界層の存在を認識できるし、また肉体以外にも媒体があることを知ることができる。魂が発達していくと、意識の中心が上層に上がっていくとともに、媒体も発達していく。媒体の発達はB体、C体、D体の順に進む。

 

 

そして魂が十分に発達したとき、われわれは、真の自分が実は極めて高貴な存在であったこと、そしてその本拠地は高位の界層であること、肉体・B体・C体・D体は単なる媒体(乗り物)にすぎないこと、物質界・B界・C界が下層界であることなどを如実に知ることになる。魂の本拠地はD界層であるが、進化の初期の段階ではD界層の精妙な波動を感じることができないために、D界層が実在し、かつそこが本拠地であることを意識することができない。進化の初期の段階にある魂が意識できる界層は、鈍重で粗雑な波動が渦巻く物質界(この世)しかない。

 

そこで魂は生きていることを明確に意識しうる唯一の場所である物質界に下りてくるのである。その段階の魂にとってはそこ(物質界)が一番落ち着く場所なのである。しかし魂は必ず発達するように創られているので、発達が進むにつれて本拠地であるD界層の存在が明瞭になってくる。魂の発達は徐々にではあるが着実に進む。したがって最初は物質界の鈍重で粗雑な波動にしか感応しないが、次にはより精妙なB界層の波動に、さらに発達するとさらにより精妙なC界層の波動に感応するようになり、意識の中心が段々と上がっていく。そしてついに意識の中心がD界層にまで上がった時、われわれは真の自分を発見する。そしてこのとき以降、再生(生まれ変わり)は止む。

 

 

因果応報は、過去行った行為は、将来必ずそれに相応した結果をもたらすというものである。そしてこれは、ほとんどの場合、悪い方の意味で用いられている。つまり悪い行いをすると悪い結果が現われるというようにである。これによれば、因果応報は外に現われた行為のみを原因と捉えているように見えるが、実はそうではなく真の原因は行為を出現させるに至った想念(心の持ち方)にあるとするものである。つまり、ある行為をなすときは、その前にそのような行為をしようという意思を持つのがほとんどの場合である。

 

 

 

したがって因果応報を正確に言うと悪い行為を行ったときに有していた悪い思い(想念)が後に必ずそれに相応した悪い結果をもたらすのだということになる。ということは、外形だけを見れば悪い行為であっても、そのときに悪い想念がない場合には悪い結果は現われないということになる。例えば、他人を傷つけるという悪い行為をしたとしても、他人を傷つけようとする意思を持って行った時と、そのような意思を持たないで行った時とでは、後に受ける結果が全く違ってくるのである。前者の場合には他人を傷つけるという想念に相応した結果、つまり自分が他から傷つけられるという現象がいずれは出現するが後者の場合にはそのような現象は出現しないのである。

 

 
親が子を懲戒したり、先生が生徒に懲罰を与える場合や上司が部下を叱責する場合などに、憎しみの思い(相手を痛めつけようとする思い)を持って行うのと愛の思いを持って行うのとでは、外形的には同じ行為であっても、自己が後に受ける結果には雲泥の差が生じる。親が子から、また先生が生徒から暴力その他の仕打ちを受けたり、上司が部下から嫌われたり裏切られたりするのは、常に前者の場合である。愛の念を持ってなした与罰や叱責に対しては、上記のような悪反発は絶対に生じないのである。

 

また悪霊に取り憑かれたと感じたら、あれこれと余計なことを考えずに、ひたすら善い想念を出し、かつ善い行為を行うことである。そうすれば、取り憑いていた悪霊も居心地が悪くなって必ず離れていくのである。通常の憑依は、人霊が現界の人間に憑くのであるが、極めて稀な例外として、人霊が動物に憑依する場合がある。人霊があまりにも強い動物的欲求を保持していると、動物との間に強い絆が生じ、やがてその動物の肉体に鎖をつけられた囚人のようにつながれることになる。こうなると、その動物の肉体から自然に離れることはなくなり離れるためには相当の努力を要することになる。

 

通常はその動物が死んだときにようやく自由になる。動物につながれている間は、人間としての意識と能力を持っているのに、その動物の体を通してしか自分を表現することができないために相当の不自由を感じる。しかもその動物の魂は排除されずに当然の主人公として体内にとどまるために憑依者の受ける不自由さはさらに倍加する。自由が制限されていることは大きな苦痛であるが、憑依者は動物につながれている間、この苦痛を受け続けることになる。それとともに、その間は正常な進化の流れからひとり取り残されることになる。

 

このように人体であれ動物の体であれ、いずれにしても憑依することは不必要な苦痛と進化の遅れをもたらすことになるのである。したがって肉体を失って物質界を去った以上は、物質的・肉体的・動物的欲望を捨て去ることが必要となる。心霊現象の一つに、動物霊の憑依と呼ばれる現象がある。キツネが憑いたとかヘビが憑いたとか言われる現象である。しかし、これらは本物の動物霊が憑いたのではなく、動物の姿をした人霊が憑いたものなのである。生前に、人間としての尊厳を忘れ、あまりにも動物的な本能と欲望の赴くままに生きた人は霊界の高い階層に行くことができず、低い階層すなわち地獄に落ちる。

 

 

地獄には落ちる人の心性や心的傾向に応じ、多種類の地獄が用意されているが、動物的な生涯を送った人は、畜生地獄と呼ばれるところに落ちる。ここにいる人々は、顔だけは人間であるが、身体(霊体)は、自己の心性に応じ、ヘビ、キツネ、牛、豚、犬、猫、鳥などの姿になっている。霊界の素料は念(心)に敏感に反応するから、心が動物になっていると、霊体も動物的になるのである。しかしこのような者も、姿、形は動物のようであるが、本体はまぎれもない人間なのである。このような人霊が現界の人に憑くと、まるで本当のキツネやヘビに憑かれたように見えるのである。

 

こうなると、憑いた方も憑かれた方も不幸になる。なぜなら憑いた方は、さらに悪いカルマを重ねることになるので、地獄から抜け出るのが遅くなり、その分の苦痛と進化の遅れをもたらし、憑かれた方は、その期間は正常な現界生活が送れないので、その分だけ苦しむ上に正常な進化が妨げられるからである。このような不幸な出来事を防ぐには、まず現界にいる人間がこのような憑依霊を引きつける念(心)、つまり動物的な念(心)を溜め込まないようにすることが必要である。そうすれば、動物的人霊が憑こうとしても、対象となる者がいないので、憑くことができず、前述した双方の苦痛と進化の遅れがなくなることになる。ここでも決め手は、真の人間たるにふさわしい高潔な善い心なのである。

死は、真の人間である魂が有している多数の表現媒体の中の一番粗雑な媒体(これが肉体)を脱ぎ捨てるだけのことであり、性格や思想、感情や欲望はそのまま霊界に持ち越される。したがって物質や肉体に関する欲望を強く持ったまま死んだ人は、物質的肉体的欲求はある(むしろ強くなる)のにこれを満たす肉体がないために、非常な欲求不満に陥り大いに苦しむこととなる。そこでこのような人達の中から、肉体を有している人の中に部分的に入りこんで取り憑き、その人の肉体を通じて自己の有する物質的肉体的欲望を満足させようとする者が出てくる。

 

これが憑依という現象である。取り憑いている者を憑依霊、取り憑かれている者を憑依霊者という。憑依現象が起きると、取り憑かれた者の肉体を憑依霊と憑依霊者の二人が共有することになるから、肉眼に見える憑依霊者だけを見ていると、この者は二重人格的または性格分裂的な様相を呈しているように見える。また取り憑かれた者からすれば、自分の肉体でありながら自分の肉体ではないような感じがするとともに、知らないうちに自分の意思に反した不可解な言動や行動を採ることもある。さらに、回りには誰もいないのに、ささやきを聞くというようなこともある。

 

しかし、憑依霊の意思によって行われた行為であっても我々現界人から見れば、取り憑かれた人の行為としか見えないので、その責任は常に取り憑かれた人のみが負担することになるのである。このように、悪い性格や悪い心的傾向を有する霊に憑依されることは、憑依霊の行為についてもすべての責任を負わされるという泣くに泣けない結果を招くことになるので、われわれとしてはどうしても、憑依されない方法を心得ておく必要がある。さて、では憑依されたらどうするかですが、これは簡単なことである。

 

それは憑依霊(通常、悪霊と呼ばれている)が有している悪性格や悪想念と類似の性格や想念を絶対に持たないようにすればよいのである。というのは想念相互間には類似の想念は互いに引き合い、異種の想念は反発し合うという法則があるので、悪想念や悪性格を有しない者に悪想念や悪性格を有する者が取り憑く(寄ってくる)ことは絶対にできないようになっているからである。悪想念や悪性格を有する者は、これと類似の悪想念や悪性格を有する者にしか取り憑けないのである。したがって不幸にも悪霊に取り憑かれたときは、自己にこの悪霊と類似の悪い想念や心的傾向があることを悟り、そしてそれ故にこれは全く自己のみの責に帰すべき事柄であることを知るべきである。

 

このような場合に、自己の想念や心的傾向について自省することなく、取り憑いた悪霊のみを責めても問題は全く解決しないのである。世上、よく除霊(悪霊を取り除くこと)ということが行われるが、そのときは同時に自己の想念や心的傾向をも改善しなければ抜本的な解決にはならない。除霊をしても自己の想念を改善せずにもとの悪いままにしておいたならば、再び他の同様の悪霊が取り憑いてくることになる。要するに、悪霊に取り憑かれたくなかったら、常に、悪想念を出さないように留意しておかねばならない。・・・・・続く

 

 

 

真の人間つまり魂は不滅であり、永久に存続する。魂はこの間にちょくちょく物質界(この世)に入り修行を積み、段々と進歩していく。物質界への一回の入界時間は約80年前後であるが、これは恒久存在の魂からみれば、ほんの一瞬の出来事であり、物質界以外の界層での生活の方が圧倒的に長いのである。

 

この世の人は、この一瞬とも思える間に、幼年期、少年期、思春期、青年期、壮年期、老年期を体験していくが、これからみれば、老年期などは一瞬のまた一瞬にすぎない。世の人々は人間時間においてたかだか20年くらいにすぎない、また魂時間から見れば一瞬よりも短い老年期のことについて考えることにあまりにも多くのしかも無駄な時間を費やしている。

 

ある人は若い時から老後のことを考えるのは良いことだと言うが、その人たちの言う老後のこととは、大体において趣味とか健康とかお金とかつまり自己に関することが中心である。老年期に入って為すべきことはそんなことではない。確かに若い時期においては、他人よりまず自分のことを優先的に行うことがさらなる飛躍のために許されることもあろう。

 

しかし老年期においては、もうそれは卒業していなければならない。魂は進化するためにこの世に生まれてくるのである。したがってこの世での後半の後半である老年期に入った者は、それまでの体験の中から魂の発達に資するもの(善・愛)を獲得していなければならない。

 

そしてそれら(善性と愛)をさらに磨き、かつ他の人々に及ぼすことが、老年期に入った者の使命なのである。温泉、旅行、スポーツも気分転換や健康のためにたまには必要であるが、それだけではいけない。善と愛の真義を知り、かつさらに追究するとともに、自ら率先して、他の人々に対しそれらを教え、かつ他の人々の間にそれらをゆきわたらせるような活動を為すべきなのである。

 

 

老年期に入った者の最良の生き方は、自分に関することよりもまず、常に万物一体の思いを持って、他の同胞のために尽力することなのである。そうすれば、健康やお金は望まなくても付いてくる。他の人々のために私心なく善や愛をふりまいている人が、厄介な病気に罹ったり、どうしようもない貧困にあえいだりした例はない。

07/16~07/31

 

 メールやライン等

きちんと返信すると良

い。キープインタッチ。 

 

 一瞬の輝きに終る

定め。今まで怠けてい

たことに全力を尽して。 

 

 井戸に清い水が満

ちてきた暗示。大らか

な気持ちを維持してね。 

 

 終わりは始まりの

とき。再スタートに向

けて対策を練るとよい。 

 

 チャンスは確実に

近づいている。態勢を

整え、焦らずに待って。

 

 対人運が活発に。

だが言動には注意。ビ

ッグマウスは災いの元。

 

 

 この人と決めたら

相手の心を疑わず全身

で信頼に応えるように。

 

 真心が大きな幸運

を招く。作為はまった

く必要ない。堂々と! 

 

 損得を考えないで

前進すれば吉。利害に

とらわれ過ぎれば凶。 

 

 気を抜きさえしな

ければ大丈夫。少しず

つ希望が叶い始める。 

 

 悪戦苦闘が続く。

物事を甘く見ていると

大きな打撃を受ける。 

 

 強気で臨めば結果

よし。ただし念願を叶

える気持ちを忘れずに。

 

 

 

             ラグドール     

       

 

                                                                     

  サイレントニャー              生後7ヶ月

                                               

                                                  

                                                    

             モフモフ

 

   

 

 

                                                                                                                 ブルーアイ

                     キュート

                     

 

TAROちゃん

 

筮竹やサイコロを使わなくても姓名数理から易をたてることができます。例えば、この世に生を享け三浦悠楽と命名されたとする。

 

天格14、人格22、地格26、総格40、外格18となる。この数理をもとに姓名易をたてると三浦悠楽さんの基本卦は地澤臨となる。

 

そして、この方が満17歳になると地風升となり二十歳を迎えると水天需と変わる。この姓名易を使えば三浦悠楽さんに限定した、この人だけの運勢と運命周期を鑑定することができる。これを流年歳月術という。

 

 

 

7/01~7/15

 弱気はダメだよ。

必要な戦いを避けて通

ると面倒が増えてくる。

 

 好戦的な態度は避

け、表面的にはポーカ

ーフェイスを装って。

 

 門を出て交われば

吉。仕事は早めに切り

上げ思いきり楽しんで。

 

 人の力添えがなけ

れば何も成し得ない。

信頼関係の構築を図れ。

 

 言いたい事をキッ

パリ言ってしまえば、

案外簡単に解決する。

 

 真意を伝えて慎重

に打診を繰り返せば、

スムーズに実行に移る。

 不倫に苦しんだり

現在の恋人を失う恐れ

あり。軽挙妄動はダメ。

 

 結婚や親元からの

独立など、条件をしっ

かり整えてから交渉を。

 

 転居、転職等、環

境を変えることは凶。

心を抑えて現状で我慢。

 

 ペース配分を調整

して生活の立て直しを。

やや両極端な傾向あり。

 

 安心して気を抜く

と、同じことを繰り返

しながら凶へと向う。

 

 ブラックホールに

落ち込んだように道を

見失ってしまいそう。