再言する迄もなく宗教とは大宇宙の真理を信仰する教えである。それ故、我々は信仰を真理の上に立たしめたい。「我々の自覚と時代的聡明理の上に立脚して真に安心立命し得る大道であるところの絶対的真理を示せ!」それが我々の叫びだ。
世には無神論を唱え、宗教否定論、宗教無用論、運命否定論等をなすものがあるが、それらの説論は無知無識の稚言か、一顧の価値もなき論外阿蒙の愚論であることを知らねばならない。一体宗教とは宇宙の真理を信仰する教えであるから、宇宙の真理に二つとない以上、本来的には世界にただの一宗教でよい訳である。
しかし前にも述べたように国異なり、歴史異なり、民族異なる世界に色々の宗教を有することは否めない事実であるが、日本の如き一民族の一島国に同じ祖師の仏教が、百何十派に分かれているのは一考を要することであり、祖師の真意もおのずから支離滅裂に乱れ去る憂いあり、

七百年前時の傑僧日蓮上人が同じ流れの各宗を罵倒し、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊など最大級の罵言を残された如きはその当時に於いてはそれ相当の理由のあったことであろうが、今日大所高所より見れば一片の疑問なしとしないのである。

また唯神の道という日本独特の神道は一本でよい筈であるのに、これまた数十派に分かれているのはどういう訳であろうか。勿論人間の濫造した教派原理は必ずしも真理のみと言えず利害もあろう私情もあろう、しかし利害や感情で真理の教えを閑却したものは、少なくとも宗教とは言えないのである。過去の宗教中には時代意識に遠ざかり或いは現代科学と背馳するものもあり、新興宗教の中にも科学と相容れない幼稚なもの、或いは不純なものもある。それらは真の宗教としての価値なきものであって真の宗教は形而上下に亘り科学、哲学の一切を包摂するだけの力がなくてはならない。この点において科学者も真の宗教を理解して敢てこれを嘲らず、寧ろみずから思索して科学の堂奥は神に接続して宗教と渾融するものであることを達観するだけの雅量を必要とする。

即ち真理の闡明‐それが現代の宗教に課せられた至高の使命であらねばならない。淫祠邪教は愚夫愚婦に任せておけばよい。苟くも自覚と識見と科学的眼光のある現代人を指導するには、一切の方便や政策を排して真っ直ぐに宗教の頂点へ、最高峰に人を導入するもので無くてはならない。

一面的真理とは何か、それは宗教なら宗教にだけしか通用しない真理である。全面的真理とは宗教にも、科学にも、道徳にも、政治経済その他あらゆるものに通用する真理である。この真理を道と謂い宇宙、天地、万有、人生を貫いて、たった一つしかない絶対的なものである。人はこの亡びぬものに冥合しなければ安心立命は出来ない。永遠の生命に融合して永遠の生命につながなければ、人生の意義は無価値である
★そして真の宗教とは!
1何人も無関心でいられない、即ちすべての人に入信の門が開かれていること。
2入信すれば必ず心身共に救済される真実の道を示教するものなること。
3その救済道は学問知識の裏付けを必要とすること。
4その学問知識には当然根底ある哲理がなくてはならぬこと。以上の4条件が揃って始めて宗教と言い得るのであってこの4条件の備わらざるものは不完全な教えであり、淫祠邪教と言われても弁解の辞がないのである。