
霊界では、地上よりはるかに多くの人々が生活している。そしてそれぞれがみな、完成へ向けて進化しているのであるが、進化の程度は実にさまざまである。この人々を進化の程度によって大まかに区分すれば、低級霊(未発達部分の方が多い人)、中級霊(未発達部分と発達部分が同じくらいの人)、高級霊(発達部分の方が多い人)となる。
魂の高低を分ける指標は、愛の大小であるから、愛つまり自他一体の意識が少ない人が低級、多い人が高級ということになる。自分のことしか考えないような人は、低級霊の中でも最低の部類に属し、自分のことなど、ほとんど考えないで他人に尽すような人は、高級霊の仲でも最高の部類に属する。

最高の部類に属する高級霊は、われわれ凡人よりはるかに神に近い人であるので、我々から見るとまるで神のように見える。そこでこの高級霊こそが神であると言い出す人が出てくるが、高級霊はあくまでも神から発せられた人霊であって神そのものではない。本当に神と呼ばれるお方は、お一方しかおられないが、神のように見える高級霊は相当数おられる。
世界には数多くの宗教があり、それぞれがそれぞれの神を設定し、信奉しているが、その神のほとんどは高級霊である。高級霊は神の代理者とでも言うべき人であるが、神そのものではなく、多種類ある神の属性のうちどれかの属性を特徴的に有している発達した人霊である。
したがって高級霊の思想や考え方は一様ではなく、それぞれが特性を有している。しかしその特性はどれもが神の性質に属する優れたものであり、かつその違いは、単に高級霊の資質や好み、使命や役割の違いから生じるものであるから、特性の間に優劣の差や本質的な差は全くない。
ところが普通の人々は、このようなことが分らないために、うちの宗教の方が正しいとか偉いとか、あの宗教の教えは間違っているとか邪教だとか言って互いに無益な争いをするのである。この宗教でなければ救われないという宗教はない。宗教は、唯一の本源の神から派遣されたそれぞれの特有を有する高級霊の教えであるから、それぞれが良いのである。

一般の人々が神と崇めている高級霊は全く争わないのに、それを信奉している人々が争うのはどうみてもおかしいことである。大体において、ある宗教が存在するということは、その宗教の教えを必要とする人々、つまり魂のより良き発達のためにはその宗教の教えが最も適している人々がいるということであるから、あの宗教はよくないなどと言うことはできないのである。自分にとっては自分の信奉する宗教が、その人たちにとってはその人たちの信奉する宗教がそれぞれに良いのである。
なお、これはほんの一部であろうが、宗教の中には、高級霊ではなく低級霊を神と崇めている宗教もある。これは人々の中に悪をばらまくものであるから、これが本当の邪教と呼ばれるものであり、近づかないようにしなければならない。ある宗教が邪教であるか否かを見分けるには、その教えが自他を別のものと教えているか、自他を同じものと教えているかによればよい。個人的な低級な欲望をかき立てるような教え、自己中心的な考えを植えつける教え、他人と比較して優劣を競わせる教えなどは、まぎれもない邪教である。

正しい宗教とは、自他を同等一体と観る教え、過度の物質的肉体的欲望を持つことを戒める教え、自分のことよりもまず他人のことを考えることを勧める教えなどを基本に据える宗教である。
