小沢一郎がとうとう菅直人に面会を求めるという。個人的には格が違いすぎると思っている。何故菅直人が政局の中心にいるのか?地下10キロ震源地の地震の怪とおなじ位、怪奇な現象である。
おそらく、ジャパンハンドに管理、操作されている菅直人は、話をききこそすれ取り合わないだろう。東北で被災地にある人たちの今日の寝床さえ考えず、すき焼きをくいつづけているだろう。
小沢一郎に一度は、政治をやらせるべきだ。人工ユダヤ、偽装日本国会議員ども、よ !
「小沢一郎入門」森田実
小沢の地盤である岩手を語る場合、この独特の歴史について触れなければならない。
8世紀、現在の奥州市一帯は蝦夷が暮らす地だった。
蝦夷とは、日本列島の東方、北方に住み、日本人によって異端視されていた人々に対して、大和朝廷がつけた呼称である。このちに大和朝廷軍がしばしば進行してきた。蝦夷の指導者アテルイは果敢に立ち向かい、朝廷軍を撃退する。
しかし、802年、激しい抵抗も空しく、アテルイは征夷大将軍、坂上田村麻呂の軍門に降り処刑された。
明治以降の歴史学では、アテルイは朝廷に反逆した賊徒であり、日本統一の障害となる人物とされた。ただ、この歴史的逸話は、この地に住む人々にとって、決して後ろめたいものではなくて、誇りとなっているのだ。事実、2005年、一般市民の浄財から、アテルイの慰霊碑が建立された。この地にあって、アテルイは賊徒でなく英雄なのである。現代に至るまで、この地に暮らす人々に、アテルイと同様、中央に対する反発の心が育まれてきたとしても不思議ではない。
小沢が尊敬する政治家に原敬がいる。大正時代に平民宰相として国民から支持された原も、現在の岩手県盛岡で生まれ育っている。当時日本列島を支配した薩長藩閥はぼしん戦争で朝敵となった東北諸藩の出身者を「白河以北一山百文」と侮蔑していた。
そこで原は、号を「一山」、あるいは「逸山」と称した。薩長藩閥、すなわち中央に対する反発心から、あえてその号を用いたのである。白河とは、現在の福島白河だ。古来、白河関が東北への入り口だった。
アテルイ、原敬の反骨の血は、佐重吉、小沢にも脈々流れている。東北地方は自らの歴史に高い誇りを持ち、強い自立の精神がある土地なのである。これが、小沢の原点の一つであると思う。
小沢一郎は、復興に政治生命をかける。
菅直人は、総理大臣(自己保身)に走る。
菅や蓮舫によって消された火を小沢が灯す。
おそらく、ジャパンハンドに管理、操作されている菅直人は、話をききこそすれ取り合わないだろう。東北で被災地にある人たちの今日の寝床さえ考えず、すき焼きをくいつづけているだろう。
小沢一郎に一度は、政治をやらせるべきだ。人工ユダヤ、偽装日本国会議員ども、よ !
「小沢一郎入門」森田実
小沢の地盤である岩手を語る場合、この独特の歴史について触れなければならない。
8世紀、現在の奥州市一帯は蝦夷が暮らす地だった。
蝦夷とは、日本列島の東方、北方に住み、日本人によって異端視されていた人々に対して、大和朝廷がつけた呼称である。このちに大和朝廷軍がしばしば進行してきた。蝦夷の指導者アテルイは果敢に立ち向かい、朝廷軍を撃退する。
しかし、802年、激しい抵抗も空しく、アテルイは征夷大将軍、坂上田村麻呂の軍門に降り処刑された。
明治以降の歴史学では、アテルイは朝廷に反逆した賊徒であり、日本統一の障害となる人物とされた。ただ、この歴史的逸話は、この地に住む人々にとって、決して後ろめたいものではなくて、誇りとなっているのだ。事実、2005年、一般市民の浄財から、アテルイの慰霊碑が建立された。この地にあって、アテルイは賊徒でなく英雄なのである。現代に至るまで、この地に暮らす人々に、アテルイと同様、中央に対する反発の心が育まれてきたとしても不思議ではない。
小沢が尊敬する政治家に原敬がいる。大正時代に平民宰相として国民から支持された原も、現在の岩手県盛岡で生まれ育っている。当時日本列島を支配した薩長藩閥はぼしん戦争で朝敵となった東北諸藩の出身者を「白河以北一山百文」と侮蔑していた。
そこで原は、号を「一山」、あるいは「逸山」と称した。薩長藩閥、すなわち中央に対する反発心から、あえてその号を用いたのである。白河とは、現在の福島白河だ。古来、白河関が東北への入り口だった。
アテルイ、原敬の反骨の血は、佐重吉、小沢にも脈々流れている。東北地方は自らの歴史に高い誇りを持ち、強い自立の精神がある土地なのである。これが、小沢の原点の一つであると思う。
小沢一郎は、復興に政治生命をかける。
菅直人は、総理大臣(自己保身)に走る。
菅や蓮舫によって消された火を小沢が灯す。