1985年8月12日日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落し520名が亡くなった。当時の事故調査委員会はボーイング社の修理ミス(圧力隔壁疲弊説)が主要因となって飛行機が墜落したとなっているが真相は定かではない。
一番不自然なことは、事故現場の確認に10時間以上かかっていることだ。当時、沖縄から横田へCー130で帰還中だったアントヌッテは証言のなかで6:30には123機の異常をレーダーを通して確認していた。機長は横田基地への着陸を要請していたと証言している。
不良を抱えた123機は自衛隊機の誘導により御巣鷹山へ行く。
そして墜落、地元目撃者は墜落時123機へ向けてオレンジ色の閃光が追撃するのを目撃している。
墜落と前後して上野村三つ峠に50~100人の自衛隊隊員が結集し、9:30現場からの信号弾を合図に行動を開始この時刻はアントヌッテらが本部の命令で救助を断念し、帰路についた時刻でもある。つまり、日本政府(中曽根首相当時)自衛隊は墜落時間を早いうつから知っていた。
何故そのような策略めいたことをしたのかはわからない。
ただ、当日戦艦まつゆきが相模湾で試運転をしていた。123機の垂直尾翼が相模湾で見つかっていて、そこにくっきりとミサイル痕を確認したと関係者は語っている。
あの事故は修理ミスによる事故だったといまでも思っていた僕には信じがたいがあれは、自衛隊のミサイルが撃ち落としたのではないか、事故を隠蔽するために時間稼ぎをし、特殊部隊による証拠隠しがされた。そのために生存者が死んでいった。現場周辺の住民が現場で見たものはなにかを回収する40~50人の人と苦しそうに呻く被災者だった。
生存者の落合さんも語る。
残骸のしたで動けなかったがヘリコプターを発見し手をふったが返事はなかった。眠くなったので寝たらしい。気がつくと男の人の話し声が聞こえた。数人の子供たちの声も聞いたが闇の中に消えていった。
墜落から早い時間に政府を現場を確定していた。生存者はいた。
こんな話しが未だにある。日本の闇は消えない。御巣鷹山に眠る慰霊は運が悪かったのか、殺されたのか、ロッキード事件揉み消しと合わせて、中曽根元首相は説明責任を果たすべきだろう。
なお、123便にはアイソトープが積載されていたという。
一番不自然なことは、事故現場の確認に10時間以上かかっていることだ。当時、沖縄から横田へCー130で帰還中だったアントヌッテは証言のなかで6:30には123機の異常をレーダーを通して確認していた。機長は横田基地への着陸を要請していたと証言している。
不良を抱えた123機は自衛隊機の誘導により御巣鷹山へ行く。
そして墜落、地元目撃者は墜落時123機へ向けてオレンジ色の閃光が追撃するのを目撃している。
墜落と前後して上野村三つ峠に50~100人の自衛隊隊員が結集し、9:30現場からの信号弾を合図に行動を開始この時刻はアントヌッテらが本部の命令で救助を断念し、帰路についた時刻でもある。つまり、日本政府(中曽根首相当時)自衛隊は墜落時間を早いうつから知っていた。
何故そのような策略めいたことをしたのかはわからない。
ただ、当日戦艦まつゆきが相模湾で試運転をしていた。123機の垂直尾翼が相模湾で見つかっていて、そこにくっきりとミサイル痕を確認したと関係者は語っている。
あの事故は修理ミスによる事故だったといまでも思っていた僕には信じがたいがあれは、自衛隊のミサイルが撃ち落としたのではないか、事故を隠蔽するために時間稼ぎをし、特殊部隊による証拠隠しがされた。そのために生存者が死んでいった。現場周辺の住民が現場で見たものはなにかを回収する40~50人の人と苦しそうに呻く被災者だった。
生存者の落合さんも語る。
残骸のしたで動けなかったがヘリコプターを発見し手をふったが返事はなかった。眠くなったので寝たらしい。気がつくと男の人の話し声が聞こえた。数人の子供たちの声も聞いたが闇の中に消えていった。
墜落から早い時間に政府を現場を確定していた。生存者はいた。
こんな話しが未だにある。日本の闇は消えない。御巣鷹山に眠る慰霊は運が悪かったのか、殺されたのか、ロッキード事件揉み消しと合わせて、中曽根元首相は説明責任を果たすべきだろう。
なお、123便にはアイソトープが積載されていたという。