「小沢一郎完全無罪」(平野貞夫著、講談社刊)より転載
あとがきー細川元首相の苦悩
自民党から民主党への政権交代が行われた直後、2009年秋、還暦を機に政界を引退していた細川元首相に呼ばれ、訪れた。
1993年8月9日に細川護煕が首班となって非自民連立内閣は発足した。
だが、連立政権成立直後から、与党内には政権崩壊を予感させる火種がくすぶっていた。それが、新党さきがけ代表で内閣官房長官であった武村正義であった。
当時、細川は、「武村さんは私が総理になると同時に倒閣運動を初めていたんですよ」と悔しそうに語っていた。細川内閣総辞職後、新党さきがけは、日本新党との統一会派を解消した。このとき、前原、枝野等親さきがけの日本新党議員が、次々と離党。最終的には新党さきがけに入党し、自社さ連立政権で政権与党の一員になる。彼らは小沢一郎に批判的で、いってみれば、民主党を支えようとする小沢に後ろから鉄砲を打ってきた。
前原や枝野の話に及ぶと、細川の顔が途端に曇りだした。政治改革を実現しようという志を足下から崩されたという無念の思いが引退した後でもまだ残っているのだろう。そして、自分がかなえられなかった夢を小沢一郎に託したが、旧体制の反撃にあって苦労している様子を心配しているようにも見えた。
前原と枝野は、面従腹背の前科の持ち主だった。彼らが公然と反小沢の旗印を鮮明にしているのも、その動機は、結局のところ自らの保身に行き着くのである。
ところで本書を執筆中に、民主党内で生方解任問題が起こった。マスコミ出身の議員がテレビにでて、小沢幹事長の退陣について気勢(僕には奇声に聞こえたが?)
「政策調査会を作れ」「説明責任を果たせ」「独裁的支配をやめよ」など、小沢=悪者論を煽っている。
閣僚の一部が、政権を支えている幹事長の進退について発言するのは倒閣運動だ。発言の自由と責任のルールを学ぶべきである。
(当時、連日リクルート事件が報じられていたが、細川内閣崩壊の政局に枝野、前原の裏切りがあったことなんかしらなかったが、今回の小沢問題で彼らが離党し、意中のみんなの党で小沢問題を、民主党批判を展開するのが気高い生き方のような気がする。)
是非一読をこうー
小泉純一郎と検察の癒着もかかれています。
あとがきー細川元首相の苦悩
自民党から民主党への政権交代が行われた直後、2009年秋、還暦を機に政界を引退していた細川元首相に呼ばれ、訪れた。
1993年8月9日に細川護煕が首班となって非自民連立内閣は発足した。
だが、連立政権成立直後から、与党内には政権崩壊を予感させる火種がくすぶっていた。それが、新党さきがけ代表で内閣官房長官であった武村正義であった。
当時、細川は、「武村さんは私が総理になると同時に倒閣運動を初めていたんですよ」と悔しそうに語っていた。細川内閣総辞職後、新党さきがけは、日本新党との統一会派を解消した。このとき、前原、枝野等親さきがけの日本新党議員が、次々と離党。最終的には新党さきがけに入党し、自社さ連立政権で政権与党の一員になる。彼らは小沢一郎に批判的で、いってみれば、民主党を支えようとする小沢に後ろから鉄砲を打ってきた。
前原や枝野の話に及ぶと、細川の顔が途端に曇りだした。政治改革を実現しようという志を足下から崩されたという無念の思いが引退した後でもまだ残っているのだろう。そして、自分がかなえられなかった夢を小沢一郎に託したが、旧体制の反撃にあって苦労している様子を心配しているようにも見えた。
前原と枝野は、面従腹背の前科の持ち主だった。彼らが公然と反小沢の旗印を鮮明にしているのも、その動機は、結局のところ自らの保身に行き着くのである。
ところで本書を執筆中に、民主党内で生方解任問題が起こった。マスコミ出身の議員がテレビにでて、小沢幹事長の退陣について気勢(僕には奇声に聞こえたが?)
「政策調査会を作れ」「説明責任を果たせ」「独裁的支配をやめよ」など、小沢=悪者論を煽っている。
閣僚の一部が、政権を支えている幹事長の進退について発言するのは倒閣運動だ。発言の自由と責任のルールを学ぶべきである。
(当時、連日リクルート事件が報じられていたが、細川内閣崩壊の政局に枝野、前原の裏切りがあったことなんかしらなかったが、今回の小沢問題で彼らが離党し、意中のみんなの党で小沢問題を、民主党批判を展開するのが気高い生き方のような気がする。)
是非一読をこうー
小泉純一郎と検察の癒着もかかれています。