「マイホーム」という夢を見すぎないこと | 行けるところまでコツコツとー県民共済住宅

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基本的にはやる気ないです(笑)。

いつも読んでいただきありがとうございます。

ぜんぜん面白くもないのに。。

僕には面白いものはかけないので、今日は思いっきりつまらない方向に舵を切った話を……(笑)。

誰かの役に立てればと思って。。


夢を見すぎないこと。

これは僕が家を作るにあたって心がけた大事なことのひとつです。

ブログタイトルには「ローコスト」とうたってありますが、この裏テーマみたいなのがこの「夢を見すぎないこと」だったりします。

どういうことか?

夢というものは曖昧なものです。夢のなかではあらゆることが可能になります。

広くて、オシャレで、豪華で、カッコよくて、かわいくて、北欧風のインテリアもいいし、アメリカンな外観もいいな、家具もせっかくだからデザイナーズのものを取り入れたい、和室も欲しい、床は無垢がいい、できることなら自然素材をふんだんに使いたい、最新の便利な設備もいろいろ取り入れたい…

曖昧な夢のなかではすべてがかなえられる気がします。

そして、そんな夢のような家に住めばそれだけで幸福になれるような気さえしてきます。

ハウスメーカーの営業マンたちは僕たちのこのあたりの心理をついて誘惑してくるんじゃないでしょうか?

もちろん、家という大きな買い物をするわけで、夢を見ていいんだと思います。ただ、夢を見すぎないことは重要だと思うんです。

なぜなら、「マイホーム」という甘美な響きにのせられて人はほっておいても夢を見てしまうからです。ほっておいても夢を見てしまうのだから、そういう時はブレーキをこそ心がけるべきだと僕は思います。

有名な建築家のル・コルビジェは「住宅は住むための機械である」と言っていますが、僕はそれをもじって「家は道具にすぎない」と自分に言い聞かせてます。

家は夢を叶えてくれる魔法の箱ではなくて、僕たちが暮らしていくための道具にすぎないのだと。

道具にすぎないものにお金をかけすぎて、肝心の生活のほうが苦しくなってしまったら本末転倒です。

大事なものは僕たちの暮らしです。

「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という言葉があります。

ある人が持っていた馬がその人に幸福も災いも両方もたらしたという話をベースにして、世の中っていうのはそういうふうにできているという中国のことわざです。

僕はこれをこう解釈しています。

幸福をもたらしそうな何かをすれば人はかならず幸福になれるのではない。逆に不幸をもたらしそうな何かが幸福をもたらすこともある。何が人に幸福をもたらし、何が不幸をもたらすのか、なんていうことは神様ではない人間には分からないのだ、と。

だいたい、失うことが幸福だということが世の中にはあると思うんです。

人のために何かをするということ。

これは自分にとっては失うことです。

なんでもいいのですが、たとえば身近な例では…、僕は僕の祖母が亡くなるとき、3ヶ月間、仕事以外の時間の大部分を彼女のために費やしました。

でも、祖母は亡くなりました。損得勘定でいえばこれは「損失」でしかありえません。

でも、僕は不思議と幸せを感じました。今でもこの経験が、何もできない僕に力を当てえてくれることさえあります。

こういうことがあるんだなと実感しました(ちなみに子供を育てるということもそういうことだと思ってます。あるいは夫婦関係もそうでしょう。あるいは…)。

話がそれましたが、夢のマイホームを建てたからといってそれだけで幸福になるとは限らないと思います。

どこから幸福がやってくるかは僕たちには分からないのですから。

そういうわけでほどよく夢を見ながらこれからも家づくり「も」楽しんでいければと思っています。

こんなことを書いてしまって…、家づくりを楽しんでいる人に水を差すようなことになっていなければいいのですが…。