自分はばあちゃんっ子だ。

ばあちゃんっ子だと言うよりかはばあちゃんっ子だったと言う方が今は正しいのかもしれない。

 自分の母方のばあちゃんは自分が母親のお腹に宿ってから生まれてくるまでに「女の子がいい」と何度も言ったことがあると母親から聞いた。しかし自分が産まれてからはそれが一変し自分が物心つく頃には2つ下の妹より可愛がられている気が子供ながらにわかった。

 妹も妹で別に可愛がられていなかった訳でもなく、妹はどちらかと言うとじいちゃんに非常に可愛がられていた。

 自分が幼稚園に通い始めてから夏休み等の長期休暇は基本ばあちゃんの家で過ごしていた。

 じいちゃんは仕事で日中家にはおらず、一方でばあちゃんは夏休みの間にいろいろなところに連れて行ってくれた。ばあちゃんは車の免許を持っていないので移動はもっぱらバス。バスの中でも「あそこのデパートの中のご飯屋さんが美味しいんだよ。今度行こうね」「毎年春になると○○のお花が綺麗に咲くんだよ」「次降りるからボタン押しても良いよ」「暑いから途中で降りてアイスでも食べて噴水公園でも行くかい」「午前中は宿題やって頑張ったからゲームセンターでもいくかい」などとにかく幼少期の自分の心を掴むのが上手かった。

 長期休暇が終わっても土曜日はじいちゃん・ばあちゃんの家に泊まりに行くことが多かった。別に親が嫌いだった訳でもないし、むしろ自分の両親は自分と妹に甘く愛情を存分に注がれているのだと今でも思うくらいだ。だが何故かばあちゃんの家は居心地が良かった。夏だと夜ご飯に素麺が出てきて、冬なら寄せ鍋が美味しかった記憶がある。夜になるとじいちゃん、ばあちゃん、そして自分の3人でエンタの神様を観てゲラゲラ笑っていた記憶がある。寝る時も寝室の数の関係ではあり、少し恥ずかしいのだが小学生6年生までばあちゃんの大きなベッドで一緒に寝たりした。じいちゃんはと言うとイビキがうるさいので2つあるうちの別の寝室でガーガーと寝ていた。

 子どもの朝は早い。自分は日曜日は大体6時には起きていて仮面ライダーが始まるまでゲームをばあちゃんの家でするのだが、自分が6時に起きてしたのリビングに行くともうばあちゃんは起きていてSTVラジオを聴きながら新聞を読み耽っていた。この頃はずっとこの生活が続くのかなとさえ考えたことがなかった。当たり前の生活過ぎてこの生活がいつか無くなるなんて子どもだし思いもしなかった。

 しかし、自分が高校1年生の秋じいちゃんが亡くなった。自分が中学生になって部活が本格的に忙しくなって中々ばあちゃんの家に泊まりに行けない日が多くなったがばあちゃんはばあちゃんでじいちゃんの車でいろいろなところに行き、その都度お土産を買ってきてくれてそれはそれで楽しそうだった。だがじいちゃんが亡くなってから何故かばあちゃんは小さくなってしまったと感じる。物理的にではなくどこか心にぽっかりと穴が空いたように。先ほども書いたがばあちゃんは車の免許を持っていない。自分の住む地域は圧倒的車社会なので車が無いとなると遠出するのは難しい。ばあちゃんは家に篭もりがちになりそれに伴い病気がちになった。ばあちゃんは少し変わってしまったのだ。

 しかし、この生活にも変化が起きた。自分が高校を卒業と同時にようやく車の免許を取った。別の記事でも書いたが札幌の大学に通っていて地元までは車で3時間かかったので頻繁に会える訳でもなかったが3連休などで地元に帰った際には、ばあちゃんと2人で色々なところに行った。昔じいちゃんと行った場所、母親がまだ小さい頃住んでいた町、自分も記憶はないが自分が小さい頃に家族みんなで来た場所、とにかく色々なところに出向いた。その頃からまたばあちゃんは少し活気が出てきて頻繁にメールもするようになった。

 しかし、この生活も長くなかった。自分が大学を卒業し、社会人になった。社会人生活は地元で送りたく、地元の企業に就職したのだが仕事柄平日は地元から車で2時間以上離れた場所での仕事が増えてまたばあちゃんとはあまり連絡も取らなくなってしまった。

 社会人生活3年目、じいちゃんが亡くなってから9年が経ちもう思い出の中だけの人になってしまったが自分が大好きだったばあちゃんはまだいるし、まだまだ思い出を作ることもできるだろう。この文章力が不束な記事を書いていてまたばあちゃんに近々連絡してみようかと思った。


 結局自分はばあちゃんっ子なのだ。

 北海道は既に秋に入ろうとしている。

と、書いたものの本州で暮らしたことがないので本州がどのように夏から秋に変わりゆくかを知らないが、とにかく北海道は着々と秋になりつつある。小学生だった15年ほど前は夏から秋、秋から冬が明確化していたが近年は夏が終わり、少しの秋が来て冬が来るという構図になってきている。

 人間は視覚や聴覚より嗅覚で記憶を思い出す、というのをどこかで拝見したことがある。自分はその通りだと思う。自分は何故か昔から嗅覚が人より優れているせいなのか季節ごとの匂いを感じ取ることが人よりできると思っている。しかし、夏や冬の匂いを嗅いでも楽しい記憶がちらほら蘇るだけで鮮明に何かを思い出すことができない。では嗅覚が人より優れているとは言わないのではないかと言われてしまえばそれまでだが、季節の変わり目である春と秋は匂いで様々な記憶が蘇る。特に何故か秋の匂いで思い出される記憶が特に多い。楽しい思い出、寂しい思い出、悲しい思い出。

 秋口の夜7時半頃に高校の部活終わり部活の仲間とくだらない話をしたこと、特に意中の人でもない後輩に好きだと言う気持ちを告白されたこと、祖父の容態が良くないという事、上げ出したらキリがないが些細なことでも思い出すことがある。特段人生において大切だと言う訳でもない記憶すら思い出される。

 世間の皆様はその季節毎の匂いでどんなことを思い出すのだろうかと疑問に思った2021年の秋口。





 前述には全く関係無い話ではあるが、今回の夏がコロナウイルスが蔓延してから2度目の夏となった。2年前には想像も付かない様な日常が繰り広げられ、移動や娯楽等が規制され中々楽しめない日が続いているが来年の夏はコロナウイルスが落ち着いて気兼ねなく何処へでも行ける世界になって欲しいと切に願う。

 自分は高校を卒業と同時に実家を飛び出し札幌で一人暮らしを始めた。実家の自分の部屋の物は大して札幌の一人暮らしの部屋には持ち込まず、札幌に持って行った自分の部屋の物はPS3と小さいモニターのみで、家具なども全て札幌で新調した。無論それは自分が大学生になり、札幌に住む事になったお祝いとして親が買ってくれた物だった。

大学の長期休みには必ず実家には帰っていた。長期休み以外にも3連休が有れば帰っていたし、そもそも車で3時間ほどの街なので結構頻繁に帰省していたのだ。その頃はまだ実家の自分の部屋には学習机・ベッド・テレビなど高校生の頃の部屋のままでどことなく生活感があった。

 その後の社会人生活は結局地元に戻ってきて1年半程実家で暮らしていた。社会人生活で大学時代とは比べ物にならないくらい自由にたくさんお金を使えたので学習机を取っ払い、L字のデスクを買ってみたり、学習椅子を大学生の頃に購入したゲーミングチェアにしてみたりと高校生の頃から時間が止まっていた実家の部屋の時間がまた新たに動き始めた。いつのまにか実家の自分の部屋のL字デスクにはゲーミングPCに繋がった3枚のモニター・アンプ・iPad等が置かれておりプライベートを過ごすにあたって何ひとつ不自由が無い部屋になっていった。先程も書いたが自分が社会人になり引っ越すまでは1年半、その引っ越しとは晴れて素敵な彼女ができ、同棲と言う形で実家を離れた。

 実家を離れる際にデスクやらPCやら身の回りの物は全て同棲するマンションに運び込んだ。そうすると実家の自分の部屋は学習机等は取っ払ってしまったのでシングルベッド1つになってしまった。

 そのうち月日が経ちあれよあれよといううちに実家の自分の部屋は半物置部屋と化してしまった。大学進学時の自分の部屋は時が止まった状態だったが、今の実家の部屋はもう既に死んでいる。

 おそらく今後誰かが頻繁に使うような部屋でもないので、自分がたまに実家に帰った際に寝るシングルベッド1つあればいいのだ。

 小学2年生から高校生までを過ごしてきた実家の部屋はもう息をしていないし今後も吹き返すことはないだろう。

 

 

 先日映画を見た。その映画の原作の本も読んでいて、いままで読んだ本の中で3位になるくらいに好きな作品だった。いざ映画を見てみると序盤から原作とかけ離れた物語になっており「え...ハズレ?」と思ったのだが話が進んでいくうちにそれはそれで面白く後半は少し感動してしまうほどいい作品であった。自分は原作の完全映像化を期待していたので映画自体の点数は100点満点中72点。でも映画版デアデビルに比べると70点も高いので自分の中では良しとした。

 

 後日Twitterで映画名を検索し色々な人の感想を見ようとタイムラインをスクロールしていた。原作を読まずに映画を見て高評価をする人、原作と比べて批判する人、原作を見た上で褒める人、好きな俳優の演技を褒める人と様々いた。しかしその中で明らかな批判をツイートしている人がいた。自分は気になりプロフィールに飛んでみると。「映画批評家」と書かれていた。その方のフォロワー数は1000人ちょっとだ。フォロワーが全てではないがこの批評家の情報が何もない今現在ではフォロワー数で判断することが8割を占める。そもそも「映画批評家」とはなんなのか。どのレベルに達していれば「批評家」を自称していいのだろうか。仮に自分がこの先このくだらないブログで映画を批評する記事を書き続けたとしよう。1つの記事を書けばそれはもう立派な映画批評家なのか、それとも100個映画を批評する記事をかけば批評家になれるのか。まぁ、そんなことは正直どうでもいい。

 先程の「映画批評家」の話に戻るが、この方のツイートを少し遡ってみると、なにやらいろいろな映画に対しての感想なのか批評なのかをツイートしている。ひとつひとつ見てみるとすべての映画を批判している。これは見た映画全てを批判しているのか、はたまた自分が素晴らしいと思った映画はツイートしていないのかはわからないが、とにかく常に負の目線から映画の内容を書いていた。

これでは「映画批評家」ではなく「映画批判家」ではないか。定かではないが批評というものは良い点、悪い点を指摘・取り上げ価値を決めることを指す。それなのに彼は批判ばかりしている。

 自分は少し彼のことを嫌いになってしまい、ほかにどんなツイートをしているのかが気になった。ツイートを2、3個見ただけでその人を嫌いになるのはあまりにもったいないので2年も前のツイートまで遡ったのだが全部批判していた。

 かれこれ30分ほどかけて2年ほど前まで遡った時に思ったことがある。

 「普段芸能人のアンチをしている人もわざわざ嫌いな人間の過去をことこまかに調べるのだろうか」と

おそらくわざわざ嫌いな人間の情報を事細かに調べて批判する人などほとんどいないだろう。なぜならばそんなことは途轍もなく無駄なのだから。

 さらにこの映画批評家のツイートのみならずブログも見てみることに。すると自分の好きなある映画も“批判”していたのだが、案外的を得ていたし、何より自分とは違う視点から映画を観ていて「はぁ、こういう見方もあるのね」と感心してしまうほどだった。

映画批評家を名乗るだけあって自分のようなただ映画を見て「面白かった」「面白くなかった」のほぼ2択に振り分けている人間とは訳が違う。自分を褒める、讃える訳ではないが自分は自分の意見と違う事を言われたりしても負の感情からスタートすることがない。でも割と自分の脳で考えられる範疇の意見が出ると考えることもせずに、それを負のものとして受け止め相手を批判する人も少なくないと思う。こういう人たちがアンチになりやすい傾向にあるのではないだろうか。

 自分も昔は自分の知り得ない情報、意見を聞くと最初に負の感情が生まれて批判や罵倒まではいかなくとも「何言ってんだ?」と思うことがあった。

 しかしまず相手の意見をよく聞き自分の意見と比べてみて本当に相手の意見・考えが批判することに値するのかを考えてみてほしい。

 これを考えずに自分の意見だけで物事を捉えてしまうと生きづらいし、何よりもったいないと思う。

 

 

 自分は大学生のころ札幌の大学に4年間在籍していた。

 

もともと実家は札幌ではなく北海道の田舎の町で高校生までのんきに生活していた。

 大学に行った理由の2割が「勉強をしたいから」で残りの8割は札幌に住んでみたいというなんとも不純な理由で進学させてもらった。

 正直みなさんも国立大を受験するような優秀な人間でなければ私立の理系大学に進む理由など「遊びたいから」が大半なのではないだろうか。

 まぁ、進学した理由などどうでもいいのだが、自分は大学在学中4年間をパチンコ店でアルバイトをしていた。

 そのパチンコ店では夜の0:30まで仕事をして深夜1時まで休憩所でみんなでダラダラしてから帰宅するのが当たり前だった。

 自分の住んでいた地域では月曜日が燃えるごみの日になっていて、ゴミ出し場所は近くの公園に設置されている金網に入れるシステムだった。

 土日はもちろんゴミ回収が無いので月曜日のもえるごみを出すのは最速で金曜日の夜に金網に入れておけば月曜日にゴミ回収業者が持って行ってくれることになる。

 自分は基本土曜日にバイトのシフトを組んでいたので土曜の仕事(仕事終了時には日曜日になっている)が終わり帰宅し風呂に入り、ゲームを早朝4時くらいまでしてからごみを捨てて寝るという今社畜社会人生活を送っている身からするとそれは大層うらやましい生活をしていたなと感じる。

 

 とある土曜日いつものようにバイトを終え、帰宅しゲームをしてゴミを投げに行こうと玄関を出たとき寂れた二人乗るともういっぱいいっぱいのエレベーターから見慣れぬ明らかに夜のお仕事をおしていそうなきれい目なお姉さんが下りてきた。

 自分の部屋は1階で玄関を開けるとすぐにエントランスなどというほど立派ではないが一応エントランスに出る。自分は違う階の住人かと思い会釈したが、向こうはこちらをちらりと見るだけで会釈もなしに外に出て行ってしまった。

自分もお姉さんの後を追い、もうすでに夜が明け明るくなった外に出ると一台の黒いプリウスが停まっていて中に乗っている運転手が自分を凝視しているのが横目でもわかった。

 お姉さんはそそくさとそのプリウスの後部座席に乗り、プリウスは走り出した。 この時自分はすべてを理解した。

 「あのお姉さんはいわゆるデリヘル嬢で、黒いプリウスはお迎え」なのだと。高校生まで田舎で育った自分からするとそのようなものは珍しく、たった一台の黒いお迎えプリウスを見ただけで一気に都会人になれた気がした。

 

 ゴミ出し場所の公園までは歩いて3分ほどだったが、その間にちょっと嫌な想像をした「もしかして自分は黒いプリウスの運転手に『自分が呼んだデリヘル嬢の送迎をエントランスの外までする痛い客』」だと思われていないか、と。

 もちろん弁明の余地はないし、仮に運転手と話す機会があって「自分が呼んだのではない。ただの他人だ」と言い訳するのも意味が分からないし、それこそ痛い他人ではないか。

 

 そんなこんなで2週間が経ち土曜のゲームを終え、ごみを出しに外に出ようと玄関を開けると2週間前と同じお姉さんがエレベーターから降りてきた。先々週会釈をして無視されたことなど覚えていなかったし、そもそもマンション内で人を見ると反射的に会釈をしてしまうので頭を下げた。するとお姉さんが会釈をしかえしてくれたのだ。別にこれがなんだというわけでもないし、上の階の住人が呼んだお姉さんに会釈を返されたからと言って特に嬉しいわけでもない不思議な気持ちになった。

 

 それ以降2週間おきにそのお姉さんを見るようになったが、4か月くらいを境にぱったりと見なくなってしまった。どうやら自分の上の階に住んでいる50代くらいのおじさんが引っ越したようだった。それに伴いお姉さんもいなくなってしまい別に自分が呼んでいたデリヘルでもないのになぜか少し寂しくなってしまった。

 

 今考えると気持ちの悪い大学2年の28時。

 

自分は今現在25歳になった。もう四半世紀生きているがその実感はあまりないし、そもそも自分が生きた年数を実感している人の方が少ないと思う。

 

 小学生や中学生の頃、土曜日の深夜に放送されているカウントダウンTV(以下CDTV)を観るのが好きだった。特段CDTVが好きだったわけでもない。自分は小学校6年生からRADWIMPSが好きだったのだが、そのころにCDTVで大々的に取り上げてもらったことなどなかった。いまでこそRADWIMPSが新曲を出せばランキング上位に食い込んでくるのだろうが、10年前には一瞬で次の曲の紹介をされてしまっていたほど知名度もなかった。しかし、あの雰囲気が好きだった。親も寝て野外の音も無く、間接照明が灯されて多少薄暗いリビングで携帯ゲーム機を使ってゲームをやるのを横目に観るあのCDTVがたまらなく好きだった。

 いまでこそオンラインゲームが主流になって同じ場所にいなくともボイスチャットを使い、友達と会話しながらゲームができる時代になったし、それはとても便利で素晴らしいと思う。しかし、10年前は違う。まだ酒を飲める年齢でもないのでウーロン茶片手に次友達に会うまで、一人PSPを握ってモンスターハンターの装備を揃えているあの時が今考えると幸せだった。

 

 深夜の薄暗いリビングに聞こえるのはグラス内の氷が溶けて傾きグラス側面にロックアイスがぶつかる音、小さめの音量でテレビから流れてくるCDTVとゲーム音声、そして時たま鳴るPSPのUMD特有の「シャーッ」という音。あの空間にいるとまるで世界には自分しかいないような錯覚に陥ることもあった。

 

 思い出補正も少し加味されているが、何も考えずとも1日が終わっていたあの幼少期に戻りたいと最近よく考える。

 もしみんなが大好きな回転寿司屋のお寿司に命が宿り、意思が芽生えたとしたらお寿司は自分が回っていることに気がつくだろうか。

 

地球では朝には太陽が昇り、夜になるにつれて太陽が沈んでいく。無論これは太陽が動いているのではなく地球が太陽の周りを約1年かけて回っていることは周知の事実だ。

 

今では当たり前の公転だが16世紀にコペルニクスが唱えるまでは、地球を中心に全宇宙が周っていると考えられていた。

 

知的生命体と呼んでいいのかはわからないが人間が地動説を見つけるまでにとてつもない年月がかかったのにお寿司が「人間が我々の周りを周っているのではなく、我々が人間の周りを周っている」と気づくまでに一体どれほどの時間を要するだろうか。

 今自分は建設業に努めている。世間体には建設業というと「スコップやハンマーを持って作業する人」という形で認知されがちだが、現場を管理する仕事をしている。

 

ピラミッド建設時代で言えば鞭をもって大きな石のブロックを積む人間に指示を送る側に近い。

 

建設業の朝は早い。パン屋ほどではないが自分の場合は現場にもよるがその現場は朝5:30に家を出て1時間かけて出勤していて毎朝ローソンで朝ご飯を買って運転しながら食べて朝食を済ませていた。

 

ある朝いつも通り馴染みのローソンに行き、おにぎり1つとウーロン茶を手にレジに並んだ。

 

最近のコンビニでよく見受けられるのが、レジは二つだが並ぶ列が一つでどちらかのレジが空き次第そちらに行き会計を済ませるシステムが多い。

 

そこで右側のレジの店長らしき年配の男性店員がすべて商品をスキャンした後に

 

「元気ですか?」

 

と、お客に問いかける。

 

今もそうだがその時期は特にコロナ蔓延がひどくて店のマニュアルにはないが元気かどうかを聞いて話を広げるのもあるのだなと思った。

 

しかし「元気ですか」と問われても皆口をそろえて「はい...」とそっけない。

 

それもそのはず平日の早朝でこれから仕事に行く身としてはどうもテンションが上がらない。

 

そうして自分の番が来て店長のレジで会計を済ませることになった。

 

その日は金曜日ということもあり空は雲が少なく暖かったので、仕事前のコンビニとはいえ多少テンションが上がっていた。

 

なので自分は今まで客に無下に返事されていた店長に少し同情しつつも会話を広げてあげるために「元気ですか?」と聞かれた際に

 

「はい、今日は天気もいいですし」

 

と、返した。

 

すると店長は今まで返してくれた人が少なかったのか「え?あ、、、はい」と驚いていた。

 

会話が広がり毎日行くコンビニで毎日いる店長と少し親しくなれるかと思ったがそれ以降の会話はなかった。

 

おにぎりとウーロン茶がスキャンし終わり会計の時になった。

 

自分はいつもクイックペイで支払いをしているので「クイックペイでお願いします」というと店長が「ん?あ、、、はい」

 

と、マニュアルにない「元気ですか」の掛け声をしている店員らしからぬ返事だった。

 

その後は何事もなく会計が終わり車に乗りおにぎりを食べながら考えた。

 

あれって「元気ですか?」じゃなくて「現金ですか?」じゃね???

 

振り返って考えてみると確かに「現金ですか?」の店員の問いに対して「はい」以外の答えは必要ない。

 

それなのに自分はテンションが上がって無駄な事を付け足してしまったが故に「晴れの日は現金払いだけど直前に電子マネーに切り替える謎男」が爆誕してしまった…

 

これを機にそのローソンには一度も行くことが無くなってしまった。


 


 

 

 


今年自分は人生ではじめての厄年だ。

周りの友達や家族が厄年の話を出してくるばかりでさして自分は興味が無かったのだが、あまりにも周りが厄年の話をするもんだから気になって調べてみた。

そもそもまず厄年にどんな事が怒るのかすら知らなかった自分なので検索してみると。

「スマホを買い替えて1週間で落としてしまい、画面が割れたので早々と補償を使い新品のと交換してもらったが、そのスマホが通信が繋がりにくい機種だった。なので再度新しいスマホと交換してもらったところ1週間でまた落として画面を割ってしまった」という事例があった。

確かに不幸が3回続き災難だがよく読んでみると3回中2回はただの自分の不注意なのではないか?と思った。

新しいスマホに変えてもらって通信が繋がりにくい機種だったのは災難だがそのあと再度落として割ってしまったのは完全に自分の不注意なのではないだろうか

まして2週間前に新品のスマホを落として割ってしまっているのならばますますスマホの扱いに気を付けていれば済む事なのではないのだろうか。

それをさも「厄年のせい」にしてはいないだろうか。

普通ならスマホリングを付けるなり、もっと慎重に扱うなりとそれなりの対策はあっただろうに2週間前の災難をすっかり忘れてまた同じ過ちを繰り返してしまったただの学習能力が無い人なのだと思ってしまった。

他にも「厄年の日に父が亡くなりました。」

とのエピソードがあった。

確かに悲しいが自分なら人間の2代イベントの「生」と「死」のうちの1つである「死」を子どもの厄年だったから、などと言う半分以上信じられない昔からの言い伝えの厄年で自分は死んだ。

とネットに書き込まれたらたまったもんじゃない。

そもそも本来1番災難なのは亡くなった父親の方なのではないか。

父親が厄年だったのならばそれはもう言い逃れできないが自分以外の死のイベントがあったからと言ってそれを厄年と捉えるのはいかがなものかと思ってしまう。

最後にとんでもない厄年エピソードがあったのだ

「厄年の年にだれの子供かわからない子を妊娠した」と書かれていた。これには流石に呆れてしまった。

自分の貞操観念がガバガバなだけなのにあたかも「厄年のせい」にしているのだ!

ただ「厄年のせい」にして自分の貞操観念の低さを認めたくないだけの女のエピソードだったのだ。

話は飛ぶが厄年エピソードを今一度見直して欲しい。そして。確率論が確立しつつある現代において母数は1万人にして「厄年の時にどんな災難があったか、また厄年ではないのに厄年の時に起こった時以上の災難はあったか」を聞き込んで「本当に厄年は厄年なのか」を検証してほしい。

前回の記事で「フルーティー」と他のお洒落な食べ物の相性が抜群だと言う話しをした。

今回はまたそれに近い話をしようと思う。

夕方にテレビを観ているとリポーターがデパ地下などに足を運び食べ物をリポートするのをよく目にする。

先日も何気なく観ているとリポーターが白身魚のタイの刺身を食べて「うーん、柔らかくて甘くて美味しいです!」と感想を述べた。

次々に色んな店舗を回り次に肉屋のステーキの切り身を食べた時に「フルーティーなワインに合いそうですね!」などとはもちろん言わず、「肉汁が甘い!」と一言。

次の店舗でトマトやアボガドなどが入ったサラダを食べた際に「アボガドが良い甘さを出してますねぇ」と言うのだ。

自分はふと「ん?甘いと何でも食べ物はうまいのか?」と思いそのままテレビを観ているとソフトクリームを食べた同じリポーターが「甘すぎなくて美味しいですね」などと言うのだ!

俺はすかさず1人家の中で「いや、どっちだよ!甘いのが良いんじゃ無いのかよ!」と呟いてしまった。

今まで散々「甘いから美味い」と言っていたリポーターが急に「甘すぎなくて美味しい」と言うのだから仕方がない。

そこでふと疑問があたまに過ぎった。

「程よく甘くてフルーティーな食べ物があればこの世の森羅万象の食べ物の美味しさを遥かに凌駕してしまうのではないか」と

これは恐ろしい事がこれから起きるに違いない。

今まで誰も気づかなかっただけでこの様な食べ物が存在してしまえば素晴らしい世の中になるのではないか!

この様な食べ物を口にするまで死に絶えることは出来ないなと思ったある日の夕方だった。