今、ワールドカップの話題で取り上げられている南アフリカ。
でも南アフリカと聞いてまず想うのはアパルトヘイト・人種隔離政策だ。
起源は17世紀とも言われるが制度として法制化され1948年以降1994年に撤廃されるまで続いた「法律」である。
1994年だ・・アメリカの奴隷時代の話じゃない。
法制化は年を追うごとに範囲を広め強行化し肥大していった。
黒人と白人との居住区の隔離はもとより異人種の情報交流まで制限され、収入格差は時期により7倍とか10倍と言われその反発を避けるため後には異人種間の接触さえ禁じられた。
したがって異人種間での結婚はおろか交際も禁じられるのだから恐れ入る。
当然世界各国からの批判は常にあり、経済制裁は長きに渡って続いたが、レアメタル等の特需で体制は維持されていた。
その後、80年代の終わり頃、マンデラの前くらいの大統領が撤廃を打ち出し、混乱の後94年に「制度上」は終結した。
終結されるまで多くの人々の尽力があるわけだが、ロックミュージシャンもかなり多くの人がメッセージソングを作った。
僕がよく覚えてるのはブルース・スプリングスティーンとジュリア・フォーダム。
ジュリア・フォーダムの「happy ever after」は音数の少ないスローでシンプルな打ち込みのサウンドに、ちょっとハスキーなボーカルと民族音楽的なコーラスの入る美しい曲。
僕のiPodの再生回数はいつも上位だ。
歌詞内容はストレートではなく内面的象徴的であり政策を激しく批判するようなワードは見られず穏やかな物だが当時「そのための曲」としてクレジットされ強い印象を残した。
そして94年終結後、終結を祝う意味に歌詞を変えたバージョンがアルバムに収録された。
多くの人がそれを喜んだんだね(^-^)
でも現実、94年ですべてが終わったわけじゃない。
白人黒人という単純な構造じゃなくて、経済的利害や複雑に入り組んだ民族問題、法制施行中に積み重なった数々の国家犯罪の処遇など、国内の混乱はむしろ悪化した。
終結直後、隔離された居住区に今まで抑圧されていた黒人たちが流入して来る、、今までそこに住んでいた富裕層の白人はとっくに国外等に逃れ、残っているのは貧困層の白人や他の有色人種。
でも虐げられてきた黒人たちの怒りは我々の想像を超えるものだ。
富裕層だろうが貧困層だろうが白人は白人・・・。
そこでどんな悲劇が繰り返されたのかは想像に難くない。
戦争反対とか人種差別反対とか、言うのは容易いけど「差別反対」という強力無比な言葉ツールを先に使えば安全地帯に立てるのか?
それは断じて違う。
現実、そこにあるのは複雑に入り組んだ利害と止められない怒りと暴力、、、「強力無比なお題目」を唱えることでそれで終われる世界ではない。
何故かメディアは「その後」をあまり報じなくなってしまった。
ゼロではないにせよまだインターネットが一般普及してない時代にその情報に出会うのは当時は困難だった。
どこかの報道カメラマンが書いたコラムを活字メディアで知って、次にJICAか何かの活動で海外活動経験のある人から口頭で聞いたり・・・この人はテンション高すぎの人でバイタリティーはすごいけど「ハク」を付けるためにやってるキライがあって・・
渡航費を得るために個人募金なんかやるのだけど「募金難民」ギリギリの人だったので信用してなかった。でも混乱の様子を語った内容は他の情報とも整合性がありリアルだった。
でも募金はしなかった。
現在もネットで「その後」の情報はあまり拾えない。非常に疑問だ。
安全だと伝えるメディアもあったが情報が不十分な段階で結論が出ているのはおかしい。
その後紛争が収まらない事は分かりきっていた事だし当事者たちは常に改善の努力を続けて来たけど外にいる自分はどうだったか・・。
人種差別ハンタイ!と取って付けたようなお題目を連呼して満足して終わってただけだ。
本来無関係なのに今は中心当事者となっている人
あのハシゴ演技ではオスカーは不可能。
やって見せることで語るに落ちてしまった。
人を傷つける為には相手の一番大切なものを傷つける事が効果的である、という手法を実践した。
きちんとしよう。でなければすべてが水疱に帰してしまう。
心を見せてください。
アジア北西部カワグー地区の人は「自分の分はバレていない」と思ったとたん説教モードに転じた。
一も二もなくそういう事だ。(悲)
そして今年、ワールドカップ開催国となるも「南ア」の混乱は民族紛争等の要素も色濃く治安が良い状態とは言えないという。
それを受けて中継を担当するテレビ各社は全社共、女性スタッフの派遣を取りやめた。
南アを題材に取り入れた映画作品に「リーサルウエポンⅡ」があるけど音楽に一部エリック・クラプトンが関わっていてその関係でジョージの「チアー・ダウン」が使われている(^-^)
とても好きな曲。
チアーダウンはジョージの造語で「頑張り過ぎないように」という意味だという。
昨今は「頑張らない」というワードが一人歩きして形骸化してると思う。
「頑張らなくてもいい」、というのは心が「もうだめ」という状態の人にはその時は良いけれどそれで終わってしまったら心の糸が弛んだままで常態化してしまう。
それはちっともいい事じゃない。
ジョージが言っていたような初期の意味が失われてきてるように思える。
力いっぱい引っ張っても切れない丈夫な心の糸が無いのなら、蜘蛛の糸くらいの弱い糸しか無いのなら、それを弛ませておくのではなくて、そうっと引っ張って、切れないギリギリのテンションを保てばいい。
「頑張り過ぎないように」と「頑張らなくてもいい」は似て非なるもの。
弱くともテンションバランスを忘れないことは大切、そうしないと「休みの国」から帰って来られなくなっちゃうからね(^-^)
海外の紛争も災害も時期が過ぎると忘れがちだけど何かの機会に思い出して見過ごした部分を見るようにしたい。
「ワールドカップ」と「ハッピーエバーアフター」でまた少しアンテナを伸ばしてみようと思う。
でも南アフリカと聞いてまず想うのはアパルトヘイト・人種隔離政策だ。
起源は17世紀とも言われるが制度として法制化され1948年以降1994年に撤廃されるまで続いた「法律」である。
1994年だ・・アメリカの奴隷時代の話じゃない。
法制化は年を追うごとに範囲を広め強行化し肥大していった。
黒人と白人との居住区の隔離はもとより異人種の情報交流まで制限され、収入格差は時期により7倍とか10倍と言われその反発を避けるため後には異人種間の接触さえ禁じられた。
したがって異人種間での結婚はおろか交際も禁じられるのだから恐れ入る。
当然世界各国からの批判は常にあり、経済制裁は長きに渡って続いたが、レアメタル等の特需で体制は維持されていた。
その後、80年代の終わり頃、マンデラの前くらいの大統領が撤廃を打ち出し、混乱の後94年に「制度上」は終結した。
終結されるまで多くの人々の尽力があるわけだが、ロックミュージシャンもかなり多くの人がメッセージソングを作った。
僕がよく覚えてるのはブルース・スプリングスティーンとジュリア・フォーダム。
ジュリア・フォーダムの「happy ever after」は音数の少ないスローでシンプルな打ち込みのサウンドに、ちょっとハスキーなボーカルと民族音楽的なコーラスの入る美しい曲。
僕のiPodの再生回数はいつも上位だ。
歌詞内容はストレートではなく内面的象徴的であり政策を激しく批判するようなワードは見られず穏やかな物だが当時「そのための曲」としてクレジットされ強い印象を残した。
そして94年終結後、終結を祝う意味に歌詞を変えたバージョンがアルバムに収録された。
多くの人がそれを喜んだんだね(^-^)
でも現実、94年ですべてが終わったわけじゃない。
白人黒人という単純な構造じゃなくて、経済的利害や複雑に入り組んだ民族問題、法制施行中に積み重なった数々の国家犯罪の処遇など、国内の混乱はむしろ悪化した。
終結直後、隔離された居住区に今まで抑圧されていた黒人たちが流入して来る、、今までそこに住んでいた富裕層の白人はとっくに国外等に逃れ、残っているのは貧困層の白人や他の有色人種。
でも虐げられてきた黒人たちの怒りは我々の想像を超えるものだ。
富裕層だろうが貧困層だろうが白人は白人・・・。
そこでどんな悲劇が繰り返されたのかは想像に難くない。
戦争反対とか人種差別反対とか、言うのは容易いけど「差別反対」という強力無比な言葉ツールを先に使えば安全地帯に立てるのか?
それは断じて違う。
現実、そこにあるのは複雑に入り組んだ利害と止められない怒りと暴力、、、「強力無比なお題目」を唱えることでそれで終われる世界ではない。
何故かメディアは「その後」をあまり報じなくなってしまった。
ゼロではないにせよまだインターネットが一般普及してない時代にその情報に出会うのは当時は困難だった。
どこかの報道カメラマンが書いたコラムを活字メディアで知って、次にJICAか何かの活動で海外活動経験のある人から口頭で聞いたり・・・この人はテンション高すぎの人でバイタリティーはすごいけど「ハク」を付けるためにやってるキライがあって・・
渡航費を得るために個人募金なんかやるのだけど「募金難民」ギリギリの人だったので信用してなかった。でも混乱の様子を語った内容は他の情報とも整合性がありリアルだった。
でも募金はしなかった。
現在もネットで「その後」の情報はあまり拾えない。非常に疑問だ。
安全だと伝えるメディアもあったが情報が不十分な段階で結論が出ているのはおかしい。
その後紛争が収まらない事は分かりきっていた事だし当事者たちは常に改善の努力を続けて来たけど外にいる自分はどうだったか・・。
人種差別ハンタイ!と取って付けたようなお題目を連呼して満足して終わってただけだ。
本来無関係なのに今は中心当事者となっている人
あのハシゴ演技ではオスカーは不可能。
やって見せることで語るに落ちてしまった。
人を傷つける為には相手の一番大切なものを傷つける事が効果的である、という手法を実践した。
きちんとしよう。でなければすべてが水疱に帰してしまう。
心を見せてください。
アジア北西部カワグー地区の人は「自分の分はバレていない」と思ったとたん説教モードに転じた。
一も二もなくそういう事だ。(悲)
そして今年、ワールドカップ開催国となるも「南ア」の混乱は民族紛争等の要素も色濃く治安が良い状態とは言えないという。
それを受けて中継を担当するテレビ各社は全社共、女性スタッフの派遣を取りやめた。
南アを題材に取り入れた映画作品に「リーサルウエポンⅡ」があるけど音楽に一部エリック・クラプトンが関わっていてその関係でジョージの「チアー・ダウン」が使われている(^-^)
とても好きな曲。
チアーダウンはジョージの造語で「頑張り過ぎないように」という意味だという。
昨今は「頑張らない」というワードが一人歩きして形骸化してると思う。
「頑張らなくてもいい」、というのは心が「もうだめ」という状態の人にはその時は良いけれどそれで終わってしまったら心の糸が弛んだままで常態化してしまう。
それはちっともいい事じゃない。
ジョージが言っていたような初期の意味が失われてきてるように思える。
力いっぱい引っ張っても切れない丈夫な心の糸が無いのなら、蜘蛛の糸くらいの弱い糸しか無いのなら、それを弛ませておくのではなくて、そうっと引っ張って、切れないギリギリのテンションを保てばいい。
「頑張り過ぎないように」と「頑張らなくてもいい」は似て非なるもの。
弱くともテンションバランスを忘れないことは大切、そうしないと「休みの国」から帰って来られなくなっちゃうからね(^-^)
海外の紛争も災害も時期が過ぎると忘れがちだけど何かの機会に思い出して見過ごした部分を見るようにしたい。
「ワールドカップ」と「ハッピーエバーアフター」でまた少しアンテナを伸ばしてみようと思う。