映画「消されたヘッドライン」とハリウッド
現在公開中の映画「消されたヘッドライン」である。
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これは以前イギリスのドラマが映画となって出てきたものですが、物語はアメリカ・ワシントンDCで起きた2つの事件。ドラッグ中毒少年が何者かに射殺された事件ともう1つ目は若手国会議員コリンズのもとで働く女性職員ソニア・ベーカーが出勤途中の地下鉄で突然死したことから始まる。このつながりがないようである事件がなんだかの形で結びつくことが一致し、その共通点がある地元新聞記者のカル・マカフリーが本能のまま事件の真相を探っていくという物語である。
現在ラッセルクロウは某所におりますが、映画にもあるように、ジャーナリズムの力といってもいつも言われてるのはペンの力である、これは以前記事を書いた時がある私にとると、なんとなく理解できる部分もある、というのはこのアメリカのジャーナリズムというものの、先日来日したLAタイムズのかたも本当に部数がなくて非常に経営が厳しいそうだ。そして社会性のある部分を書くということは神経を使うということになるが、ストレスとの戦いでもあるようだ。それは私も理解できる、そしてこの下の記事ではないが、イギリスのタレントの40代の女性がオーディションを受け、結果、決勝にでる寸前中傷合戦で心を乱されてしまってオーデイションの出場も危ぶまれるといったことも今の自由な報道や話題にすれば相手のことも考えて書かないと大変な職業でもある、しかし、現在、外国も先日の来日したトムハンクスのダヴィンチコードの続編天使と悪魔でもYOU TUBEが初の公開プレミア放送をすることでもわかるように、時代を世界同時に共有する時代でもある。そのために、報道される速度も共有する話題も世界中で吸収できる世の中である。このような時代にマスコミとは何ぞや?そして報道することとは何ぞや?以前報道で苦しむ人々をみつつ、反対に市民ジャーナリズムというものに少し携わってきた私も、結果、報道の世界の規制された閉鎖的な部分とながし流しっぱなしの報道。そして、見る立場での市民目線での立場と極端に違っていた、その中でも、中傷される、または励まされることも私は経験者だし、いろいろな人と会えるうれしさとは別に、自分だけの記事ネタをとるために必死でいるなど、そして、規制時間目いっぱいのなかで顔面神経痛や腰痛、がん患者とストレスが非常に多いこのマスコミの世界である。自分の仕事の時間も朝・昼・夜も拘束される。自分の時間などなく、何かあればすべてキャンセルして取材に走るのだ。自分の意思を、会社の理念で動くのではなく、自分の責任で記事を書くというのはすごいプレッシャーである。
それを実感しているので、この映画の中での、国家権力に立ち向かうラッセルクロウ演じるカルの姿は、非常に好感が持てる。なかなかいい演技を見せているような気がする。現実としてのいろいろな世間の問題としては、社会問題は山済みだが、次から次へと真理を突き詰めようとするラッセルクロウの演技姿は確かに現実味がある演技をすると思う。
いまはその世界にほとんどいないのでどうかは、今の現状は外からしかわからないけれど、新聞社のネタの奪い合いほどすごいものはない。時に女性は男以上の仕事をしなくてはいけない上、視野が広いようで狭いこの社会、そして日本ではまだまだ男尊女卑傾向にいつも心の葛藤を強いられ、女は女を捨てるか仕事を捨てるか、必死で覚悟を決めてこの世界に生きる覚悟をする多くの女性をみている。幸いにも時々幸福の神が降りてくるのか?文の世界は実力のみ。でも企業所属となるとんまサラリーマンと同じである。ただ文の世界で男も女もないという部分では本当の実力者だけがのこるときも多い、日本の新聞社の場合、企業に勤めるのと同じでそれを全うしながら生きる方法はサラリーマンとほとんど変わりない。だから彼らなりの葛藤がすごくある。また、海外でのジャーナリズムといえば、先日の映画宣伝のために来日されたLAタイムズのステイーヴ・ロペス。そして以前アメリカ副大統領のゴアさんもジャーナリズム出身であるが、真実と戦い、自分の世界を切り開いてゆく大きな力と、強い意志というのはこの映画からも感じられることだろう。
さてこの映画の見所のひとつはアクションシーン。でも実際アクションは現実にはなかなかありえないけれど。真相を追究役を演じるラッセルクロウに実は私は初めてこの映画を観ていいなと思った。これは正直イケメンすぎたキャストでやっていたら現実味がなかったかもしれない配役だったかもしれない。もしラッセルクロウのファンのかたがこのブログを見ていたらすみません。すごくかっこいい男であることはわかっています。ちょっと丸い顔のイメージでよかったなと思った。
なおラッセルクロウの関連です ラッセルクロウ http://ameblo.jp/zatoichi1/entry-10203980808.html
このイベントは約2年、カッツェンバーグとスピルバーグ、デイヴィッド・ゲフィンが主催した資金集めパーテイがウもともとであるのだが、昨日日系ジャーナリストと会っていたた現国務長官のヒラリー・クリントン氏とも実はここから交流が広がったので、現在のエマニュエルさんがよい地位を築いたのもここからである。このイヴェントには
さらにこれだけ人種がそろっているとお国同士で感覚が文化が違ってくるのでちょっとしたことで今度は偉いことに発展してしまう可能性もある。たとえばハリウッドのなかのユダヤ人対オーストラリア人、フランス人対アメリカ人とかどんどんエスカレートして複雑になってきます、たとえば以前お話したかもゃしれません、人は悪気があってもなくてもすることがありますが、有名な話ではオーストラリア人メルギブスンがユダヤ人に軽く話したことが差別だといって、実際ユダヤ人はすごくアメリカでは差別をされる民族であるが、軽くいったことが結局ユダヤ人でもエージョントで金がある人にそれがわかった場合ハリウッドから彼を締め出すよう公の場でやっちゃうのです、実際そういう差別からくるトラウマがエージェントにかかわって複雑なものになっているとすると、すごいアンラッキーなひとも生まれる代わりにラッキーな人も出てくる、それは今回のスタートレックの最新の監督であるJ・J・エイブラムスである。
左がわ エイブラムス
私の尊敬するエマニュエルさんアルエマニュエルは以前先ほど話したとおりメルギブスンを映画界から追放しようとしたが、エマニュエルは今度はマスコミに力をいれてメルギブスンのクライアントエージェントを強く圧力をかけたため、そこにいたJ・J・エイブラムスは逃げてあたらしいチャンスをつかんで監督したのが映画「スタートレック」だ。本当に複雑なのである。映画の世界は毎日が戦いで私も知らなくてはいけないことがいっぱい出てくるが本当に追いつかない位だ。このブログの最初に書いたとおりマスコミの世界のねた奪い合い合戦もさながら、映画界も毎日が波乱万丈で、想像を絶する駆け引きを繰り広げているのです、だからここで軽くエージェントの話をブログに書きますが、氷山の一角の飛び出た話で、毎日毎日マスコミと同じように精神的な痛みが毎日やってくる。それくらいひどいのです。だからここでご紹介することも相当な努力の結果でできたものであると思ってくださいね。